京都聖マリア教会 月報「コイノニア」
1997年4月号


「う ち に 帰 る」

司祭  浦地洪一

1.汝の若き日に
汝の造り主を覚えよ

 かつて、日曜学校の礼拝の式文は、「汝の若き日に汝の造り主を覚えよ」という聖語で始まりました。したがって、この言葉は、私が一番最初に覚えた聖書の言葉です。
 ところが、この聖書の言葉には、次のような恐ろしい言葉が続いています。新共同訳聖書で読みますと、
「青春の日々こそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに。太陽が闇に変わらないうちに。月や星の光がうせないうちに。雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。」
 さらに、「その日には家を守る男も震え、力ある男も身を屈める。粉ひく女の数は減って行き、失われ窓から眺める女の目はかすむ。通りでは門が閉ざされ、粉ひく音はやむ。鳥の声に起き上がっても、歌の節は低くなる。人は高いところを恐れ、道にはおののきがある。アーモンドの花は咲き、いなごは重荷を負いアビヨナは実をつける。人は永遠の家へ去り、泣き手は町を巡る。白銀の糸は断たれ、黄金の鉢は砕ける。泉のほとりに壷は割れ、井戸車は砕けて落ちる。塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。なんと空しいことか、とコヘレトは言う。」とあります。 「その日」とは、「年を重ねることに喜びはない」という年齢になった時のことです。年をとった時には、このようになる。「手や足が震え、腰が曲がって小さくなる。歯は抜けてなくなり、目はかすんで見えなくなる。耳が閉ざされ聞こえなくなる。鳥の声で、朝起き上がっても、歌を歌う声は低い声しか出ない。高い所へは登れなくなり、足は上がらないので道は少しの段差でも恐ろしい。頭髪は白くなり、関節は重くなって動きが鈍くなる。性欲は衰える。そして、死を迎え、悲しい別れの時を持つ。かつて光り輝いていたランプの糸は切れ、油壷は砕ける。肉体は滅び、すべての活動は止まる。肉体はチリとなり、チリは大地に帰る。そして、霊(神の息)は、これをお与えになった神に帰る。ああ、なんと空しい(はかない)ことか」と、コヘレトは言いいます。
 だから、「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」、「汝の若き日に汝の造り主を覚えよ」というのです。

2.うちに帰る

 私は、和歌山にいる頃、聖アンナの家という老人ホームに通っていました。第一と第三の日曜日の午後、聖餐式を行っていました。玄関の所で、必ず何人かのおじいさん、おばあさんが、入口の方を見ながら、誰かを待っている風景を見かけました。いつもみんな入り口の方を見ているのです。また、夕方になると、「うちに帰る」と言って、急に施設を出て行こうとする人たちがいました。玄関で職員がなだめすかして、部屋へ連れ帰っている場面によく出会いました。知らぬ間に出ていってしまう人もあるそうです。その中で、とくに女性は「うちに帰る」というときの「うち」は、その施設へ来る前に住んでいた所というより、「実家」を指していることが多いと言います。結婚して五十年経った人でも、その前の二十年住んでいた家が「うち」として浮かんでくるというのです。
今年の初めまで一緒に住んでいた私の母は、やはり同じような光景を毎日繰り返していました。母は、和歌山県の新宮市の出身ですが、夕方になると、「お世話になりました。心配するといけないので、もうボチボチかえります。」と言って出て行きます。何処へ帰るのかと尋ると、「新宮へ帰る」と言います。六十数年前に出た実家へ帰ろうとします。もうそこには家もないし、親兄弟もいないと何回説明しても、同じことを言いました。
老人の記憶は、近い過去つまり最近起こったことはすぐに忘れて、昔の出来事はよく覚えていると言いますが、これは単に一般論として単純に説明することは難しいことだと思います。誰にでも「帰って行きたい」「うち」というものがあるのではないでしょうか。壮年期でも、青年期でも、夢の中で「自分のうち」という感じが出てきますし、それは、住み慣れた家というよりは、自分の生まれ育った家であり、結婚してから住んでいる家ではないことが多いような気がします。家ではなく「うち」という言葉になつかしい響きがあります。

3.心の中に
「うち」を持つ

 結婚間近な若い人と話をしていて感じることですが、土地つきの一戸建ちの住宅に住みたいと言って、異常に土地や家に執着を持っている人がいます。そのような人は、年を取ってから「帰るうち」が必要であることを敏感に予感しているのかも知れません。このようなことから、私たちが人生を精一杯生きて、ほんとうに帰る「うち」をしっかり持つということが非常に大切なことであると思います。
昔、コヘレトの言葉(伝道の書)を書いた人は、人は年老いて死んでいく。人の肉体はチリに帰り、大地に帰る。霊はこれを与えた「与え主」に帰ると言いました。だから、「あなたの若い時に、青春の日々にこそ、あなたをお造りになった創造主に心を留めなさい、覚えなさいと言うのです。
 心の中に、しっかりとした、ほんとうの「うち」を持っている人は、一人で何処に住んでいても「うちへ帰る」などと言ってうろうろしなくてもいいのです。生まれ故郷の実家や誰もいない幻の「うち」よりも、もっと向こうにある「うち」を想い、その「うち」に帰る確かさを持って、今を生きる特権が与えられているのがクリスチャンです。
「土に帰る」、「神に帰る」覚悟ができている人は、ほんとうに強いと思うことがあります。
ヨハネ福音書十三章三十三節以下の聖書の言葉を開いてみて下さい。
 イエスさまは、私たちのために場所、所、家、ほんとうの帰るべき「うち」を用意すると約束して下さっています。この安心を私たちは、心の底から受け取っているでしょうか。帰るべき確かな「うち」を持つ者であることを自覚し、確信する者の強さを持っているでしょうか。神さまとの関係を正さなければと思いながら、どれほど長い年月が経ってしまったことでしょう。そのうちに、そのうちにと思いながら、年月が経ち、間に合わなくなってしまいます。「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」
「その時」になってから、あわてて帰るべき「うち」を捜し、見つからなくてうろうろしないように確かなものを、今、しっかりと心に留めておきたいと思います。


イースターおめでとうございます

今年のイースターも昨年の礼拝堂があった時と変わらず、
200名以上の会衆が集いました。


礼拝堂建築委員会より

礼拝堂建築委員長 新実康男

最近の建築委員会の活動について報告します。度々皆さんの御意見の中に出て来る会館西隣の空地については、昨年十月にこの土地の購入の是非について、建築委員会と募金委員会との合同委員会が開かれて、現在私達が進めている募金活動は礼拝堂を建てるためのであり、その募金で土地を買うことは募金の目的に反する。従って、今行っている募金活動及び建築計画では、隣りの空地の購入については考えないと結論を出し、教会委員会に報告して了承を得ました。従いまして今後この問題を公の場で持ち出す事は、教会員の考えに混乱をまねき、議論を後戻りさせる事になりますので、さし控えて頂きたいと考えます。
 旧礼拝堂の敷地が南北に細長いので、少し幅を取り広くするため、幼稚園の西面の階段部分を削り取り階段を他の場所に付けかえて、礼拝堂を約二米巾広くすると云う考えがありました。この事について3月26日と4月10日の2回にわたって話し合われました。幼稚園側としての階段の移設についての利害得失を考えました結果、幼稚園の将来計画が、園児数の見通しが困難な事等から立て難く、現状の維持に出来る限りつとめなければならない状況から、老朽化した建物の一部を削り取る事により更に建物を弱くするおそれがある事、そして階段の移設は幼稚園の教育環境にとって失うものが大きい。具体的に云いますと、今の木製の巾広いゆるやかな階段は園児の遊び場として非常に有用である、それと同様な階段を別の場所に作ることは不可能である事、又階段の移設により運動場が狭められてはならない事等が上げられました。従いまして、礼拝堂の敷地については、今私達に与えられている旧礼拝堂の敷地と残してある古い玄関部分に限定して、建築計画を進めて行かざるを得ないとの結論になりました。しかし、幼稚園を含めてそれほど遠くない将来の全体像や可能性を考慮に入れて計画する必要があると考えております。
 今、建築委員会では総会に提出された建築要項の理念について学び考えております。教会員の皆さんが色々の御意見を持っておられる様に、建築委員も各人が異なる考え方を持っております。しかし委員会としての意見を一本にまとめなければ、計画が進みません。礼拝堂建築の理念を学ぶ事により、委員全員が共通の物差しを持って、礼拝堂建築の具体化に進んで行こうとしております。
 次回は4月25日に募金委員会との合同で具体的な敷地面積や床面積、或いは工費の概算、又工事開始の日程や工期等の可能性について話し合い、外部への募金の資料にしたいと考えております。今後共礼拝堂建築のためにお祈りとご支援を下さいますよう、お願いします。


〜礼拝堂建築募金委員会より〜

 募金委員会は、現在、月一回から二回の委員会、また、その間に各小委員会が会合を持ち、いかにして新しい礼拝堂を与えられるための資金を、みなさんの理解の元に集められるかを検討しています。先日のクラウス・オッカーバリトンリサイタルの大成功などをごらんの通り、新礼拝堂を建てるという目的のもと、今まさに信徒が一つになってきています。これから始まる外部への募金等、みなさんのご協力お願いいたします。


4月号次ページへ