バルナバ栄一の「聖書談話」(マルコによる福音書 8 ) (4)鳩

皆で話し合う「マルコによる福音書(8)」

マルコによる福音書3章1〜6節

 

 イエスはその人に言われた。「その手を伸ばしなさい」。その人が手を伸ばすと、その手は元通りになった。イエスは怒りの中においても、手の萎えた人にみ言葉を与えられる。手を伸ばそうとしなかったら、その手は元のままだったろう。彼は伸ばせる筈の無い手を伸ばした。唯イエスのお言葉だから。それが「信じる」と言う行為である。手は元通りになった。所が、この事実を見て殺意を決定的にしたものたちがあった。(ヘロデ党の者たちというのはどのような人たちであるのかはハッキリしない。ファリサイ派の人たちと相容れぬ、安息日にも礼拝に出てこない一派と言う説もあり、ヘロデ王家から好意的に扱われていた「エッセネ派」を指すという説もあるが、明確ではない)・ ここで既に十字架の影がさし始める。聖霊によりイエスの中に到来している「神の支配」は律法をイエスの内側から満たし成就しているが、律法を自分の義を立てる為の手がかりにしようとする者たちには、もはや律法を遵守する事を救いの条件とされないイエスを、自分たちの立場を根本から否定する者として憎み、殺そうとする。彼らは神の恩恵の支配に反抗し、自分が主人であることに固執して神を憎むのである。ここに人間性の罪深さがあらわになる。生まれながらの人間性は本性的に神の霊の事態に逆らうのである。 このようにユダヤ教との論争、対立、決裂を描くことによって(2:1〜3*6)、マルコはイエスの中に到来している「神の支配」が、人間から出るものとまったく別のものであることを告げ知らせる。それは唯神の恩恵により、神の霊によって上より与えられるものである。それを受けるのはただ信仰だけである。

 

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