バルナバ栄一の『「信仰・希望・愛」の展開の物語』 第六部 その1-(2)鳩


 

「よ くよくあなた方に云っておく。だれも新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」  (ヨハネ福音書3;3)
 
ニコデモは上記のイエスの言葉に対し、「年を取った者がどうして新しく生まれることが出来ましょうか」と質 問します。イエスが「新しく生まれる」と云われるのは、「上から生まれる。すなわち神の霊の働きの中から生 まれる」ことを指しておられるのです。イエスは「はっきり言っておく。誰でも水と霊とによって生まれなけれ ば神の国に入ることはできない」。人間は何度生まれ変わっても、やはり同じ人間です。「肉から生まれる者は 肉である」のです。肉とは生まれながらの人間本性です。そこから出てくるものはどんなに力を尽くしても、朽 ち果てるものです。永遠のいのちに到ることの出来ないものです。「霊から生まれる」ものだけが「霊である」 と云えるのです。「霊である」とは「霊であられる神とのつながりを持つことが出来る次元」を人間が内に宿す ことです。霊の次元に生きる事によって初めて、人間は永遠のいのちに与り、神の国の現実に入って行けるので す。
 イエスはこう云っておられるのです。「あなた方は神からの戒めを守れば、永遠のいのちを受けられるとして 努力しているが、その様に努める自分自身をそのままにしている限り、真のいのちに到ることはできない。あな たたち自身の命の質は、神の命の質とは相反し、どのような立派な行為をしても、それで自分の命の質を変える ことはできない。あなたがたが生まれつき持っている命とは全然別種の命を上から頂いて、新たに生まれるので なければ、永遠の命を宿し、それによって神の国の現実を味わうことはできない」と。

 イエスが語られた言葉の前で、現代人も立ち止まって考えて頂きたい。現代人は自分自身の問題を棚上げし て、ひたすら外に向かって働きかけています。自分の在り方そのものは問わないで、「私は何をしたらよいか」 だけを問題にしています。そのような人々にこの言葉は語りかけます。問題はあなた自身の中にある。あなたが 神の霊によって新しく生まれ、今まで生きた命と別種の命に生きるのでなければ、永遠の次元を見ることはでき ない。では「神の霊によって新しくされる」にはどうすればよいか? 人の罪が、つまり自我が岩のように固く 居座っている所では、霊は働けない。霊の働ける所は、十字架を信じ、十字架が仰がれている所、人間の自我が 打ち砕かれ、十字架の下に打ち伏す者の上だけです。ですから、新しく生まれて、いのちの道を歩み始めるに は、どうしても十字架の前にひれ伏して、自己を明け渡し、復活の命に生きるという活力を上から頂かねばなら ぬのです。

 

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聖書

 

バルナバ栄一の『「信仰・希望・愛」の展開の物 語』

 第六部 その1: 1 2 3 4

 

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