キリスト教と大作曲家

ベートーヴェン 
 ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ) 



 クラシック音楽の歴史を考える時、どうしても避けられない作曲家が二人居ます。一人はバッハ、もう一人がベートーヴェンです。(但し例外はモーツアルト)。バッハが対位法音楽(フーガ)の完成者ならば、ベートーヴェンは器楽音楽(ソナタ形式)の完成者で、それを代表するのが九つの交響曲です。二人とも後のロマン派、近代、現代に至る無数の作曲家たちに多大な影響を与えました。
 そのベートーヴェンの宗教音楽は僅か三曲しかありません。"オリブ山のキリスト""ミサハ長調""ミサ・ソレムニス"なのですが、いずれも内容的に従来の教会音楽を超越して彼の人生観が深く影響しています。
 ベートーヴェンは一七七〇年ドイツのボンに生まれ、二十一歳でウイーンに留学し一八二七年五十六歳で亡くなるまでウイーンを離れることがなかったのですが、それまでの作曲家がほとんど例外なく宮廷や教会に属して活動していたのとは違い、組織に従属することなく自由に強制されないで作曲活動をしました。クラシック音楽がここで初めて宮廷や教会の制約・規律から飛び出して、個人の感情や思想を自由に表現しはじめたのです。その意味ではロマン派の先駈けとみることができます。
 さて、このミサ・ソレムニスは一八一九年(四十八歳)に彼の良き理解者でありピアノを教えたこともあるルドルフ大公がオルミュッツの大司教に就任することが決まり、その式の為に感謝と祝意を持って作曲しはじめられました。ところが筆が進むにつれ、構想はどんどんふくれ上がり、大規模、長大な作品となり残念ながらその就任式(一八二〇年七月)に間に合わなかったばかりか、完成まで五年の歳月が流れました。
 ベートーヴェン自身がこの作品について「私の最大の作品で最も完成された曲」と言っているのをみても自信作だったのでしょう。 
 また、ほとんど同時に進行し直後に完成した第九交響曲とも双璧を成し、第四楽章で高らかに歌われた人類愛の精神はこのミサにも共通するものです。曲の冒頭、キリエよりも前に「心より出て――再び心に入らんことを」と書き、キリエの演奏については"敬虔に"と指示しています。
 形式的には伝統的な典礼に従っていますが、第五曲(アニュス・デイ)の第二一六小節以下"Dona, nobis pacem"ではヘンデルのハレルヤ・コーラスから引用しているのも興味深いところです。彼はグレゴリア聖歌はもちろん、バッハやヘンデルに至る宗教曲を徹底的に調べたと言っています。
 最後にお薦めのCDですが、現在カタログには二十種類あって迷ったのですが、カラヤン(TOCE 3503〜4)版は如何?
   (ルカ 梅本俊和)





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