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2002年9月25日 167号 《速報版》
日本聖公会管区事務所
〒162‐0805 東京都新宿区矢来町65
電話03(5228)3171
FAX 03(5228)3175
発行者 総主事 司祭 三鍋 裕

 


比叡山宗教サミット15周年記念

暑 い 夏 を 終 え て









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比叡山宗教サミット15周年記念
「平和への祈りとイスラムとの対話集会」

主教 バルナバ 武藤 六治

 1986年10月、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の呼びかけで、世界の諸宗教の代表者がアッシジに集い「宗教者平和の祈りの集い」が開催されましたが、日本からも天台宗の山田恵諦法主を始め何人かが参加しました(キリスト教関係からは多分カトリックの方が出席したのではないでしょうか)。そしてその翌年1987年8月、最澄が開いた比叡山が開創1200年を迎えたのを機会に日本でも、世界の各地からいろいろな宗教の代表者が集まって「比叡山宗教サミット ─世界宗教者平和の祈りの集い」がかなり大々的に行われたのでした。日本聖公会からも木川田首座主教を始め何人かが出席されたはずです。この集いのためには(そしてその後もそうですが)天台宗の尽力が非常に大きかったのです。

 その後毎年8月には、比叡山で宗教者平和の祈りの集いが行われていましたが、1997年には「比叡山宗教サミット10周年」を記念しての、これもかなり大きな「平和の祈りの集い」が行われ、平和を願う宗教者の連帯を深めたのでした。そして今年2002年「比叡山宗教サミット15周年記念」の年となったのです。

 しかし今年は単に「平和の祈りの集い」というだけではなく「イスラムとの対話」ということが付け加えられました。申すまでもなく昨年9月のアメリカにおける同時多発テロによって世界中に流布されているイスラムヘの偏見と憎悪が、人々の心から払拭されることを願ってのことでありました。従って今回の集会には海外から6名のイスラムの代表的指導者が招待されたのです。(なお、海外の招待者の中に今回初めて英国聖公会の代表−マイケル・イプグレイブ司祭−が加えられました。同司祭は英国聖公会諸宗教対話部門担当主事です)。

 8月3日、4日にわたって行われた集会の様子を詳細に書くことが出来ませんが、断片的に幾つかの事柄を記してみます。3日(土)の午後、国立京都国際会館で開会式典に引き続き記念講演及びシンポジウムが行われました。約1200名の参加者でした。記念講演はサウジアラビアのイマーム・ムハンマド・ビン・サウード・イスラーム大学の学長ムハンマド・サアド・アッサーリム師が「イスラムの平和主義」という演題でなさいました。師は講演の中で「一個人の行動がイスラムの教えと混同されたことで、神の教理が侵犯されている。私たちは相互理解と対話を必要としている。イスラムは平和を求める宗教である」と訴えられました。次いで「イスラムとの対話と理解」というテーマでシンポジウムが行われました。発言者は3人、エジプトのムハンマド・アブドルファジール・アブドルアジーズ師(アズハル大学神学部副学部長)、パキスタンのミル・ナワズ・カーン・マルワット師(アジア宗教者平和会議実務議長)、ヨルダンのムーサ・ゼイド・ケイラニ師(国際イスラム評議会代表)で、皆イスラムの方々でした。

 アブドルアジーズ師は「イスラムは、全ての生きとし生けるものを大切にする」と強調され、マルワット師は「ジハード(聖戦)とは社会悪と戦うことで、イスラムは罪のない人を殺害するテロを認めてはいない」と論じ、ケイラニ師は「日本の宗教界がイスラム世界と他の宗教との橋渡しになって欲しい」との期待を寄せられました。

 4日(日)の午前中には「紛争和解と宗教」というテーマでフォーラムがあり、海外からの5人の方々が発言しました。英国からのイプグレイブ司祭もその一人でした。この日は主日だったために私はこれには出席できませんでしたが、紛争の現実が生々しく語られたり、イスラムに対する誤解などが指摘されたと後で聞きました。イプグレイブ司祭は英国には200万人のイスラムがいるという現実からイスラムとの対話が英国の教会の重要課題だと述べられたそうです。そして4日の午後は比叡山延暦寺根本中堂前の広場で、500人以上の人が集い「平和の祈り」の式典が行われました。シンセサイザー演奏の中で各宗教の代表者が次々と登壇し、それぞれの信仰に基づく平和の祈りがささげられました。最後に参加者一同による比叡山メッセージが採択され、その朗読をもって「平和への祈りとイスラムとの対話集会」は終わりました。メッセージは宗教間の対話と相互理解の尊重、平和への決意を強調しています。





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暑い夏を終えて

管区事務所総主事 司祭 ローレンス 三鍋 裕 
 暑い夏でしたが皆様お元気にお過ごしでしょうかと、少し心配しながらお伺い申し上げます。若い仲間には夏が楽しいようです。悔しいけれどついて行けません。この夏は日韓聖公会青年交流プログラムに随行して韓国にまいりました。若くはない私どもは少々手加減してもらいはしましたが、青年たちは韓国の青年と一緒に河原の清掃、道路補修の手伝い、公民館の清掃に励んでいました。会話も自由ではないのにいっしょに作業をすることを通して青年たちは本当に仲良くなります。普通の意味での「お楽しみキャンプ」ではありません。それなのに管区からの補助を別にしても、アルバイトで稼いだであろう8万5千円を自己負担して参加しているのです。ハワイに行ける金額ですよ。宿舎も清潔だけれどないよりはマシの薄い布団で雑魚寝ですし。不思議でもあり、うらやましくもあります。

 ソウル郊外の小さな山村での生活の後、過去の歴史にテーマが移ります。元従軍慰安婦の方の証言を聞きました。文字通り生き証人です。従軍慰安婦という言葉も疑問ですね。従軍といっても使命を感じて志願した従軍牧師とは訳が違いますし、ご本人たちには慰安の正反対、言葉では表せない苦しみですから。国連用語では明確に性的奴隷と呼びます。通訳が入りますから実際の証言の内容は紙に書けば何ページにしかならないでしょう。しかし怒りと悲しみを抑えながら柔和な口調でご本人から直接聞かされると、語る痛み、聞く痛みが違います。通訳の人も胸がいっぱいで言葉が出なくなり、何回も交代しながらの通訳になります。戦争が終わって日本の植民地支配が終わっても、彼女たちは周囲から特別視され、10才代で始まった苦難を一生続けることになります。お話の後、双方の青年とも重い沈黙に陥ります。しかし、その沈黙は彼らがよく耐えて何かを本当に自分のものにしようとしている大切な沈黙でした。語ってくれた方が流暢な日本語で暖かく励ましてくださったのには安堵しましたが、その流暢さが意味するものが何かと思うと、これにも心が痛みました。

 青年たちは自由時間を使って独立運動家が投獄されていた刑務所跡を訪ね処刑場まで見学してきました。新しい「教科書」はショックだったことでしょう。しかし過去を見つめることを通して、過去だけではなく現在の一つ一つを、そして未来をもう一度見つめ直してくれると信頼しています。彼らも、北朝鮮に拉致されたまま、今回すでに亡くなっていることが確認された人々とご家族のことを思い、心を痛めていることでしょう。私たちがお互いを大切にし合うことから、しかし大急ぎで始めなければと思っていることでしょう。この若い仲間を信頼したいと思うのです。

 小さな働きではありますが、聖公会生野センターが償いと和解のシンボルとして活躍していることの意義の大きさも改めて感じさせられます。また、10月の主教会は特に韓国で行われるのは主教様方の深いお考えがあってのことでしょう。

 夏の間はキャンプなどに出かける同僚の代わりに主日礼拝の奉仕が続きましたが無事に終わり、先日久しぶりに修道院の礼拝に出席させてもらいました。忙しかった活動とは違い、静かな落ち着いた礼拝でした。ゆっくりなのです、お祈りの言葉が一つ一つゆっくり丁寧に唱えられます。一つ一つの言葉に悔い改めの心をも、平和への願いも、感謝をもゆっくり込めて祈りがささげられます。忙しかった夏を振り返り、多分これからも続くであろう忙しさを思いながら、祈りに始まり祈りに戻る活動でなければと自戒する機会でした。静かな祈りと活動の間を相変わらずウロウロしている自分を感じ、安心もしました。

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