日本聖公会
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管区事務所だより
2004年11月25日 第190号
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MJM研修に参加して □フィリピン出張報告 □カンタベリー大主教から-聖公会の皆様へのクリスマス・メッセージ


MJM研修に参加して

司祭 フランシスコ 飯野 正行(北海道教区)

 この度、MJM研修に参加することが出来、心より感謝しています。

 MJMは「メトロポリタン・ジャパニーズ・ミニストリー」のことで、ニューヨークを中心とした、在米の日本人に対する宣教の一環として日本聖公会と米国聖公会の協力より組織されているもので、現在、景山恭子氏がミッショナーとして活躍しておられます。二つの教会をお借りして行われる日本語聖餐式と、どなたかの家で行われる聖書会がその活動の中心となっていますが、英会話クラスやヨーガ教室等も行われています。昨年から、聖職の生涯学習の一環としての働きも具体的に始められ、その第2回目の研修に今回参加させていただいたわけです。しかし、研修と言いましても、用意されているプログラムや講習等が3週間ある、と言う形ではなく、計画してくださったプログラム参加とともに、自分自身の希望による研修の期間もあり、また、見聞を広める目的としての自由行動日も備えられており、非常に充実した3週間となっております。

 主な参加研修内容は、英会話クラス参加、聖ルカ病院のチャプレンの働きの見学、2回の聖書会、MFM(在ニューヨーク・フィリピン人会衆宣教)21周年記念礼拝、MJM聖餐式、滞在でお世話になったChurch of Our Saviorの創立記念礼拝と晩餐会、教区事務所・管区事務所の見学、EAMランチミーティング等です。

 今回、阿部芳克執事とともに参加させていただいたわけですが、私個人が学んでみたいこととして挙げておりましたのは、ハーフ・ウェイ・ハウス(中間更正施設)の見学と、修道院の生活体験でしたが、そのどちらも体験することが出来ました。訪れた中間更正施設『ハウジング・ワークス』では、バプテストの牧師でもある岡田圭師によるミーティングがとても生き生きと行われており、また、聖十字修道院での2日間の祈りの生活もとても充実したものでした。
 その他、メリノール修道院やフランシスコ修道院、トリニティーをはじめ多くの大聖堂、国連その他の諸施設等、多くを見学してまいりました。

 今回の研修で学んだことを一言で言うとしたなら、やはり「様々な体験をすることの大切さ」ということです。これは、海外が初めてであった私のみの感覚かもしれません。それは、横の関係を広めること・英語を学ぶこと・“外”に出ること等の大切さを学んだとも言えます。滞在先では、分担された信徒の働きの重要性や、もてなしの精神の大切さを日々学ばせていただきました。

 これからも多くの教役者・信徒の方々がこの研修に参加され、学ばれ、また、MJMの働きが伝えられ広げられ、情報交換がなされ、日本の地で既に起こっている大いなる神のみわざの一端を更に担っていくことが出来ますよう願っております。
 管区・教区・MJMの皆様をはじめ、多くの方々の祈りとお支えによって、今回この研修に参加することが出来ました。心より感謝いたします。


○ MJM研修への参加を考えている聖職の方々のために

将来MJM研修に参加してみようと思う聖職の方々の参考となるものとして、実際に研修に参加した者としての体験から、心に思い浮かぶままを記してみます。

1. 決断して行くべきである。
周囲の状況が整うならば、是非行くべきだと思います。個人で行くことと比べると、費用はもちろんのこと、活動範囲も段違いに異なります。
2. インフォメーションを受けることをお勧め致します。
経験者からのインフォメーションをお受けになることをお勧め致します。現地での生活のことや、なかなか気づかないこと等を事前に知ることが出来ます。
3. 研修の具体的なこと。
今回、プリンストンとウェストチェスターでの聖書会が1回ずつありました。前者では5名後者では10名ほどが集まりました。バイブル・シェアリングの形です。食事もします。MJM聖餐式はマンハッタンのグッド・シェパード教会で日本聖公会祈祷書で行われ、私が司式、阿部執事が説教を致しました。MJMやMJMと関わりのある諸機関の各記念行事への参加もあり、今回MFM21周年記念礼拝と祝会、滞在先でもあるChurch of Our Saviorの創立記念礼拝と会場を変えての晩餐会、EAMランチ・ミーティング等がありました。MJMオフィス、教区事務所、管区事務所等の見学もありました。
4. 自分で学んでみたいこと。
参加申込の時点で「自分で学びたいこと」を用紙に記入するわけですが、これもとても大切なポイントで、「何を学びたいか」を明確にし積極的であることが求められていると思います。私の場合は、中間更生施設について学びたいということと、2日間程度の修道院での生活を体験したい、ということでした。スケジュール的に2?3の別々の学び(体験)は可能ですが、1?2週間の集中講義をどこかで受けて来るというのは少し難しいかもしれません。
5. 生活に関して。
Our Savior2Fのゲストルームに滞在しました。3食外食が原則です。チャイナタウンですから食堂はたくさんあります。洗濯は毎日自分でやりましたが、近くにいくつもの洗濯屋があります。もちろん、風呂は無くシャワーのみです。買い物には困りませんが、薬局の位置を確認しておいた方が良いかもしれません。地下鉄での移動が多くなりますので「メトロカード」を購入しておいたほうがいいです。市内見学(観光)のためには日本で買える旅行本でいいのですが、現地で買える細かい地図が道に迷ったとき等には役立ちます。
6. 市内見学(観光)
いろいろ見られることをお勧めします。多民族性社会をダイレクトに経験するためにも、自分の見聞を広めるためにも、積極的に行動されることをお勧め致します。
7. 費用・英語等。
個人の費用はほとんどかかりませんが、滞在先に感謝献金をして参りました。英語に関しては、買い物や移動時にはさほど問題ないのですが、研修先や交わりの時に出来ると良いわけで、私の場合は通訳の方が付いてくださいました。
8. その他。
主日礼拝は、1回滞在先の教会で、もう1回はハーレムの教会へ行きました。幾つかの大聖堂でのミサにも行きました。国連その他の施設にも多く行きました。自分の教区に関わりのある方々を訪問すると良いでしょう。個人的には滞在先の教会の方々ともっと交わり、作業も共にしたほうが良かったと反省しています。


多くのことを学びましたが、私が学んだ最も大きなことは、「様々な経験をすることの大切さ」ということです。私たちは体験を選びがちだと思います。でも、自分のしたい体験のみを選ぶのではなく、様々な体験をして、崩され、教えられ、整えられて行くことを心して生きて行くことこそ、重要なのではないだろうか、とニューヨークの地で学んだ私です。
主に感謝。




フィリピン出張報告

管区渉外主事 八幡眞也

期 間 : 2004年10月2日〜10月12日
同行者 : 五十嵐主教(10月6日〜12日)
訪問場所: フィリピン北中央教区、マニラ(フィリピン中央教区)
訪問目的:
 1)北中央教区の教会数カ所を訪問し宣教状況視察する。
 2)マニラで開催されたCCEA主教会・Executive Committee会議に出席する。


1.北中央教区視察
(2004年10月2日〜6日)

 北中央教区主教・パチャオ主教のご好意で2日間にわたり農村地帯・鉱山地帯にある教会を数か所訪問し、人口の集中していない地域における宣教活動を肌で感じることが出来た。

 成田空港からマニラまでは意外に短時間(約4時間)の飛行で、米国や西欧への飛行と比較すると楽であった。始めてのフィリピン訪問。マニラ空港到着後、アンデレ神学校までは車で延々と2時間近くかかった。このようにしてマニラの町の車の渋滞状況を到着後直に経験した。到着日の宿泊は神学校のゲストハウスにお世話になった。

 私のフィリピン滞在中は現地の人の負担にならないようにと思い、翌日は長距離バスでマニラから北中央教区の拠点であるバギオまで一人旅をした。フィリピン中央教区タクラバオ主教の配慮でバスの一番前の座席を確保してもらい、バスの運転手にバギオまで無事到着するように依頼をしてくれた。このバス旅行は途中で数回休憩をはさみ約6時間。様子がよくわからなくて、昼食を食べ損なうというアクシデントはあったが、バスの窓から眺める景色を楽しみながら、朝9時出発後、3時近くに無事バギオに到着。旅程の殆どが平地であったが、バギオに近づきだんだんと標高が高くなり、バギオ到着時には少し肌寒いくらいの標高で、恐らく1500メートル位であろうか。

 パチャオ主教とは昨年韓国の会議で始めてお目にかかったが、若くて物分りが早いし、とても好感の持てる方である。彼のご好意で、2日間にわたり教区事務所の人が農村地帯・鉱山地帯の教会を案内してくれた。標高1500メートル位のところを4輪駆動車で舗装の壊れた山道を駆け巡る。もちろん4輪駆動車でなければ行けない所ばかりであった。この地域で行なわれている斜面を切り開いて作った段段畑は殆どがキャベツ畑であった。一つ一つの畑は小さな面積で、そのために全ての農作業は手でやる以外はない。このような農村地帯の所々に聖公会の教会があり、各教会は50〜100家族で構成されている。教会信徒の献金で完全に支えられている教会と、教区の援助を受けている教会があると説明を受けた。ある所では20名位の信徒が集まってくれていて、日本聖公会の現状を知りたがっていたので、教区数・教会数・信徒数等を交えて説明したが、人口の90%がキリスト教信者であるフィリピンと1%に満たない日本では余りに事情が異なりすぎて、説明しても理解してもらえたか否かがよくわからなかった。

 フィリピンは年間を通して蒸暑い気候であると理解していたが、この山岳地帯は全く別世界で寒く感じることもあった。2日目に訪問した所はこれに反して下界に近い鉱山地域で、標高が下がるにしたがってどんどん温度が上昇するのを感じた。レパントという地名の鉱山地帯で、鉱山を経営している会社が全てを所有していて、学校・教会・地域センターなどの建物の提供と運営をしている。ここにある教会の信徒と共に昼食を頂いた所も地域センターの食堂であった。

 農村・鉱山地帯にある教会は50〜100家族で構成されていて、ある所は自立しているし、ある教会は管区の援助により成り立っている。農村地帯で最後に訪問した3つの教会は一人の司祭が管理していて、毎週聖餐式の時間をやりくりしながらやっているようである。ただし3教会間の距離は車で20分くらいなので、そんなに不便はしていない様子。

 フィリピンのこの地域の食事は米(ぱさぱさした米)が主食で、それにおかずが付き、野菜を豊富に出された。大皿にすべてを盛り合わせて、スプーンとフォークで食べるのが習慣のようだ。旅行をしている間、小さな飲食店での外食が多くなってしまったが、共に食事をした現地の人たちは食べ残しを棄てることなく必ず持ち帰るのが習慣のようで、とても感心した。

 フィリピン聖公会と日本聖公会の関わりは少しずつ深くなっているが、このように現場を見させて頂いて、人的交流・資金の支援、例えばアンデレ神学校の神学生の支援は既に管区・教区・教会レベルで行なわれているが、もっと活性化出来れば素晴らしいと思った。


2. CCEA Bishops and Executive Committee Meeting
(2004年10月6日〜12日)

 今回はフィリピン聖公会が管区としてホストになり、フィリピン6教区主教と首座主教、フィリピン独立教会の首座主教、香港聖公会3教区主教、大韓聖公会3教区主教、台湾聖公会1教区主教、東南アジア聖公会(South East Asia)4教区主教、日本聖公会の五十嵐主教の20名の主教と、Executive Committeeの非主教メンバー3名が出席。欠席はミャンマー聖公会首座主教とオーストラリア聖公会首座主教の2名。マニラ中心街にあるBay View Hotelを宿泊場所・会場として開催された。

 CCEA会議はアジア諸国の聖公会の主教が定期的(主教会年1度、全体会議は4年に1度)に集まって親睦(fellowship)を深める事を主目的としているが、最近は共通の課題について共同の歩調を取るような執行機関への移行が議論されている。礼拝や聖書研究を中心とした実質5日間の会議である。主日は各教区主教が主催者の依頼により近隣の教会に出かけて説教をし、聖餐式の司式をするのが慣例である。

 今回はキーノートスピーカーの課題としてアジア諸国に共通する移住労働者の送り出し、受け入れに関する課題が取り上げられたが、これ以上に話題になったのは、今聖公会全体の共通課題である「性に関する課題」が取り上げられて、かなりの時間を費やす結果となった。米国聖公会、カナダ聖公会の決定に対して強硬に反対を主張する主教がいたり、CCEAとしての意見をまとめる事は適切でないとの意見が出て、結果的には個々の主教の判断に任せる決定がなされた。

 期間中の昼食や夕食は大きな会衆を持っている教会、聖ルカ病院、聖公会の学校などがスポンサーになって彼らの活動を紹介するかたわら、フィリピン聖公会の費用負担を軽減するという方法で執り行われ、会議運営の工夫が見られた。

 今回は私にとって昨年韓国主催の会議を含め2回目に顔を合わせる方が多く、いろいろな機会を利用して親睦を深める事が出来たと思う。

 主日礼拝はマニラ郊外にあるHoly Spirit Churchで五十嵐主教と牧師のFr. George Fetizaの共同司式の聖餐式に出席した。約120名位の出席者(子供を含む)で礼拝堂はいっぱい。子どもたちの賑やかな声に囲まれた家庭的な聖餐式であった。礼拝直後には幼児の祝福式もあり、子どもと共にある教会生活を大切にしている様子が理解できた。礼拝後昼食を共にしながら、音楽とダンスで私たちを歓迎して頂いた。ここ数年間で信徒数を急激に増やす事が出来た教会で、近隣に住む信徒だけではなく、教会信徒でない住民を巻き込んで宣教活動をしている真の地域に生きた教会であるように見受けられた。

 2005年の会議は日本聖公会が日本で主催する予定になっている。今回の出張で会議開催国としての行動はどのようなものであるか体験することができたことは有益であった。Executive Committee会議で、席上日本開催に際し宿泊費用を含めた全ての費用が高額になる事は全員承知してはいるが、費用低減に工夫をするように促された。この事を含めて準備にとりかかる必要がある。





** カンタベリー大主教から **
聖公会の皆様へのクリスマス・メッセージ



何年か前にいろいろなタイプの自閉症の子どもや青年のために働いている人々との討論に参加したことがあります。自閉症では通常の対話を閉ざしているように見え、変わった行動を繰り返したり、時として激しい感情の爆発を示したりする症状のようです。私たちはイギリスでもっとも経験豊かとされるある療法師の働きをビデオで見、さらにご本人が彼女の療法で何を試みているのかを話してもらいました。

そのビデオで最初に見たのは一人の症状の重い青年が壁に自分の頭を打ち付け、部屋の中を早足で歩き回り、短い紐を編んでそれをパチンパチンと物に打ち当てている様子でした。その療法師の対応は最初は奇妙に見えました。彼女も一緒に紐を編みパチンパチンとやり始めたのです。その青年が騒音を立てると彼女も同じことをします。彼が何か別なことを始めると、例えば手でテーブルを叩くとかですが、彼女も同じことをしました。

ビデオは2日間に渡って何が起こったのかを映していました。2日目の終わりまでにその青年は彼女に微笑み始め、触れられると応えるようになりました。関係が創り上げられたのです。そしてその療法師が言ったことはこれです。自閉症は余りに多すぎる事柄が、多すぎる情報が頭に入ってきたと感じるときに起きるのです。パニックのような感じになりますが、心はコントロールを回復しなければなりません。そのための最善の方法は自分の心を閉め切り、慣れた行動を繰り返し、何も新しいことをせず、外からは何も受け入れないことなのです。しかし療法師が自閉症の人の行動やリズムに穏やかに共鳴するとき、その人の不安で傷ついた心は結局のところ彼を脅かすことのない外の世界との繋がりがあることを見出すのです。わたしと同じことがここにもある、世の中はわたしに馴染みのない恐怖と不安の場所ではないと。わたしがこれをするとき、共鳴という答えを引き出すことが出来ると。わたしは無力なのではないと。──こうして関係が始まるのです。

実際の行動の中にこの種のことを見るのは極めて感動的なことです。これは本当に精神的にまた霊的に癒しの業が働いているということなのです。そしてこれは、クリスマスに思いを致すことの力強いイメージを与えてくれます。

人類は自分自身の中でがんじがらめになっています。人類の堕落と呼ばれる最初の大きな裏切りのために、わたしたちは多かれ少なかれ神様に対して、世の中に対して、そして本当の自分の姿に対して恐れを抱いています。わたしたちは光についてどうすることも出来ません。ヨハネ福音書が述べるように神様を受け入れようとしない者は、光を恐れ逃げ去ります。壁に頭を打ち付けていたあの青年の孤独と同じ孤独から、わたしたちを解放し癒すために、神様は行動されます。あのビデオで見た療法師と同じ方法を取られます。神様はわたしたちがすることをされるのです、生まれ、育ち、長い間わたしたちと同じように平凡で単調な生活を過ごされ、また働かれ、食事をされ、眠られます。ここには小さな町の裏通りで現実のものとなった究極の愛と完璧な神聖さがあります。わたしたちはもう神様を信頼することを学んだのですから、み国を述べ伝え、癒し、許し、死んで甦られるという全く新しく衝撃的なことが始められるときにもパニックに陥ったり逃げ去ったりしてはなりません。わたしたちは神様がわたしたちの言葉で語りかけ、わたしたちの言葉と行いに応え、ありのままのわたしたちに共鳴してくださったのを知っているのです。

キリストは十字架の死だけによってこの世を救われるのではありません。実に肉体をとられた中に愛があり、実にわたしたちと同じお姿の中に造り主の力と生命があることを知っているからこそ、わたしたちは十字架に対して応答するのです。福音書が伝えるように、神様は最後にその大きな癒しのみ手と十字架の功によってわたしたちを救われるときまで、人間の恐れ・喜び・苦闘そしてすべてを一瞬一瞬見守られ、鏡写しにされることを思わなければなりません。そして最後に、わたしたちは触れられ変えられるようになるのです。

これがクリスマスに始まることです。注射針やメスを持った医師ではなく、じっと見詰めていかにして人間らしくなるかを学ばなければならない幼子、この幼子こそが神の永遠のみ言葉です。わたしたちを新たに変える神のみ言葉を聞くときに、それを人間の言葉で聞くことが出来るようにと見詰め学んでおられる幼子のことです。彼はわたしたちを癒すことの出来る本当の療法師としての神様です。全き人性において神様がわたしたちと同じように味わってくださる。わたしたち人間の苦しみや喜びの中で、わたしたちが理解できる言葉で語ってくださる人となられた神様です。さあ神様に触れていただきましょう、わたしたちの誇りや恐れや罪の心の外に世界があることを語っていただきましょう。その世界は神の国と呼ばれます。

クリスマスにあたり、人となられたわたしたちの王なるキリストの御祝福がありますように。

カンタベリー大主教ローワン


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