今週のメッセージ――主日の説教から


2005年2月27日(日)(大斎節第3主日 A年) くもり
「 荒れ野の40年 」

――今日の聖句――
<主の命令により、イスラエルの人々の共同体全体は、シンの荒れ野を出発し、旅程に従って進み、レフィディムに宿営したが、そこには民の飲み水がなかった。民がモーセと争い、「我々に飲み水を与えよ」と言うと、モーセは言った。「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか。」しかし、民は喉が渇いてしかたがないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも、子供たちも、家畜までも渇きで殺すためか。」>[創世記 17:1−3]

 先週は、後に「神の民」と呼ばれることになるイスラエル民族の祖先となったアブラハムの物語でした。今日はモーセの物語です。時代は、アブラハムから700年程下がります。その頃、イスラエル民族は、エジプトにおいて奴隷となっていました。

 モーセは、アブラハムがそうであったように、ある時、心の奥底に深く迫ってきて強要する声を聞き、その声に従って、イスラエル民族を引き連れてエジプトから脱出し約束の地カナンに向かいます。イスラエルの民は、エジプトの軍勢を逃れて紅海を渡り、荒れ野へと導かれます。そして、約束の地カナンに入るまで、砂漠の中を40年間にわたってさまようことになります。この苦難の時代は、後に「荒れ野の40年」と呼ばれるようになりました。この「荒れ野の40年」は何を意味しているのでしょうか。

 イスラエルの人々は、何のためにエジプトを脱出したか知らないはずはありませんでした。しかし、現実に水がなくなり、パンがなくなり、肉がなくなると、不満をモーセにぶつけます。「エジプトの国で死んだほうがましだった。あのときは、肉の沢山入った鍋の前に座り、パンを腹一杯食べられたのに、あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている」と。この「エジプトの肉鍋」という言葉は、このイスラエルの人々の不満を代表する言葉となりました。「解放や自由」より、「エジプトに肉鍋」が欲しい、と思う心です。

 しかし、その中で、一握りに過ぎませんけれども、この「荒れ野の40年」の経験によって、神は何をなさろうとしているのか、それは「解放と自由」だということに気づいていくのです。つまり、人間の真の尊厳や価値は、安楽で快適な生活にあるのではなく、人間は自分の人生を自分で選ぶ権利があり、そして、自分で選んだことに対して責任ある態度をとる、という理解です。

 イスラエルの民は、この出来事によって一回り大きく成長しました。しかし、真の神の民となるには、もっと大きな苦難を経験しなければなりませんでした。それは、さらに700年程後に襲ったバビロンの捕囚という出来事です。それらの出来事を通して、イスラエルの民は、それは極めて少数ではありましたけれども、「神の民とは何か」について、さらに理解を深めていきました。それは、「神の民であることは、享受すべき特権ではなく、果たすべき責任である」ということ。そして、「神の民の運命は、全人類の運命に結び付けられている」、ということです。

 この「神に民」は、現代のわたしたち教会共同体に引き継がれています。アブラハムやモーセ、そして、イスラエルの人々が経験したことは、わたしたちの経験でもあることを覚えたいと思います。

(牧師 広沢敏明)


2005年2月20日(日)(大斎節第2主日 A年) くもり
「 神の民の始まり 」

――今日の聖句――
<主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。
 わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。
 祝福の源となるように。
 あなたの祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪うものをわたしは呪う。
 地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」
 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。
 ロトも共に行った。アブラムが、ハランを出発したとき75歳であった。>
[創世記 12:1−4]

 アブラハムは、75歳のとき、新しい人生を始めました。アブラハムは、その時、心の奥底に迫ってくる声を聞きました。その声は、有無を言わせぬ力でアブラハムに迫ります。

<「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。>

 アブラハムは、土地の有力者で、莫大な財産を持っていました。何百頭という牛、羊、馬、らくだ、また何十人という召し使いや奴隷です。アブラハムは、そのままハランに止まっていれば、豊かで快適な生活が保証されていました。しかし、アブラハムは見知らぬ国へ旅立つことを決断します。それは、極めて危険な旅でした。なぜ、神は、そのような危険な旅に出て行くことを強要されたのでしょうか。

 創世記の1章から11章までを原初史と言います。最初の2章は、天地創造と人類の誕生です。しかし、3章から11章までは、そのようにしてできた世界、つまり神がそれをご覧になって、「それは極めて良かった」と言われた世界が、人間によって無残に破壊されていく物語が展開されていきます。3章は、アダムとエバの禁断の木の実を食べる物語、4章は、人類最初の殺人となるカインとアベルの物語、6章から9章まではノアの家族以外の人類が滅ぼし尽くされるノアの箱舟の物語、そして、11章は人類の傲慢を描いたバベルの塔の物語です。このままいけば、世界は破滅に向かうしかない。そこにアブラハムが登場することに注目しなければなりません。アブラハムの決断に、人類の運命が掛かっているということです。

 主はアブラハムに、このように言われました。

 <「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」>

 イスラエルの民は、自分たちが神に選ばれたということはどういう意味なのか、その数は少数でしたが、次第に深い理解に達していきました。それは、神は、選ばれた民を、いつも安逸な状態には置いておかれない、神はその民を用いて、すべての民を真の人間への成長に導こうとされる。従って、神の民であることは、享受すべき特権ではなく、果たすべき責任であるという自己理解です。わたしたちは、この延長上に主イエス・キリストの誕生と。教会があることを知っています。わたしたちは、アブラハムの物語の中に、既に、現在の教会のあるべき姿が暗示されていることにもっと注目しなければなりません。

(牧師 広沢敏明)


2005年2月13日(日)(大斎節第1主日 A年) 晴れ
「 本当の断食 」

――今日の聖句――
<葦のように頭を垂れ、粗布(アラヌノ)を敷き、灰をまくこと、
 それを、お前は断食を呼び、主に喜ばれる日と呼ぶのか。

 わたしの選ぶ断食とはこれではないか。
 悪による束縛を断ち、軛(クビキ)の結び目をほどいて
 虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
 更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え
 さまよう貧しい人を家に招きいれ
 裸の人に会えば衣を着せかけ
 同胞に助けを惜しまないこと。>
[イザヤ書 58:5−7]

 復活日までの40日間(日曜日を除く)を大斎節と言います。大斎節の意図は、主イエスの十字架の死とご復活を大きな喜びをもって迎えるために、わたしたち自身の身を整えることにあります。身を整えるといいますと、わたしたちは、すぐ「反省」とか「悔い改め」とかを思い、酒や煙草、甘いものなどを止めることを考えます。

 しかし、今日の聖句にあるように、預言者イザヤは、本当の悔い改めは、そのようなものではないと訴えます。

 イザヤは、紀元前6世紀、イスラエル民族が、バビロン帝国によって国が滅ぼされ、その主だった人々が捕囚に連れて行かれるという、民族のどん底時代に、召命を受けた預言者です。イザヤは、本当に神が望んでおられる断食とは何か、国民の大多数が、貧困にあえいでいるときに、「粗布の上に座り込んで、頭をたれていて」それが何になるのか、そんなことにどんな意味があるのか、と問いかけるのです。

 そして、神が本当に望んでおられる断食、それは、「悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて、さまよう貧しい人を家に招きいれ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと」ではないのか、と言います。

 これらは、きわめて積極的な行動です。いろいろな理由で、人間は束縛を受けています。貧しさのため、病気のため、社会の慣習や人間関係のため、がんじがらめにされて、身動きできなくされています。それらの束縛を打ち破り、本来の人間の自由を取り戻すこと、それが本当の悔い改めではないかと、イザヤは言います。

 わが国の自殺者の数が、6年連続で3万人を超えました。その背後には、その何倍もの未遂があると伝えられています。また、心の病を訴えられる人の数が急速に増えていると伝えられています。これらは、とりもなおさず、わたしたちが、今住んで社会が、いかにストレスが多い社会であるかを示しています。現代ほど、わたしたちがいろいろなものに束縛されている時代はなかったのかもしれません。わたしたちは、この大斎節の期間を、本来の自分を取り戻すための黙想と決断の時としたいと思います。

(牧師 広沢敏明)


2005年2月6日(日)(大斎節前主日 A年) 晴れ
「 宣教への熱き思い 」

――今日の聖句――
<わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。>[フィリピの信徒への手紙 3:12−14]

 今日の聖句は、使徒パウロがフィリピの信徒たちにあてた手紙の一節です。この中に、「自分が、キリスト・イエスに捕らえられているからです。・・・目標を目指したひたすら走ることです」という言葉があります。わたしたちの教会の創設に関係し、文字通り「キリスト・イエスに捕らえられた二人の人物」に思いを馳せたいと思います。

 一人は、日本聖公会の産みの親であるアメリカ人宣教師・日本聖公会初代主教チャニング・ムーア・ウイリアムスであり、もう一人は、「八人組」と呼ばれたウイリアムスの愛弟子の一人で、この練馬聖ガブリエル教会を創設した皆川晃雄(テルオ)司祭です。

 ウイリアムスは、1829年、既に今から175年前、アメリカ、リッチモンドに生まれました。祖父はイギリスからの移民で、聖公会の熱心な信徒でした。その信仰を受け継いだウイリアムスは、バージニア神学校に進み、卒業すると、中国伝道を志望し中国に渡ります。そこで日本を知り、終生、日本伝道に尽くすことになります。

 1972年(明治5)、日本でキリシタン解禁が実施されると、「江戸の監督」に就任、本格的な日本宣教が始まります。ウイリアムスの率いるアメリカ宣教団は、東京では、京橋、日本橋、神田、浅草、本所、深川など東部の開拓に乗り出しました。その一つである神田の福音伝道所で、後に練馬聖ガブリエル教会を創設することになる皆川晃雄との出会いが起こります。

 皆川晃雄(みながわ てるお)は、1865年、秋田県に生まれました。19歳の頃,心酔していた国学者平田篤胤の勉学をするため上京、本郷の湯島聖堂に入塾します。その頃は、キリスト教に対して反感を持っていましたが、ある時、神田の福音伝道所でウイリアムス監督に出会い、キリストに惹かれていくことになります。「その日に、僕は主に捕らえられた」とよく述懐されていたと伝えられています。その後、ウイリアムス監督から洗礼・堅信を受け、東京聖三一神学校に進み、明治27年司祭に叙任、明治33年、東京神田キリスト教会の牧師になり、昭和7年退職まで神田キリスト教会の発展につくされました。退職後、練馬区小竹町に移られますが、伝道への熱意抑えがたく、昭和10年、自宅で、主日礼拝を始められ、その時、皆川晃雄は70歳で、これが当練馬聖ガブリエル教会の始まりとなりました。

 「主に捕らえられた」二人の人物、そこに見られるのは、宣教への熱い思いです。振り返れば、2000年の昔、パウロを初めとする使徒たちが、エルサレムから始めた福音の伝道は、1900年かかって、この練馬区小竹町にも到着したのです。主の福音は、多くの主に捕らえられた人々の情熱に担われてここまできました。この「熱い思い」は、使徒パウロの思いであり、ウイリアムス監督の思いであり、皆川晃雄司祭の思いでした。わたしたちは、創立70周年を迎えるこの時、教会創立当初の「熱い思い」を取り戻したいと思います。

(牧師 広沢敏明)


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Last Update Mar/16/2005 (c)練馬聖ガブリエル教会