今週のメッセージ――主日の説教から


2006年10月29日(日)(聖霊降臨後第21主日 B年) 晴れ
「 信仰の成熟を目指して 」

――今日の聖句――
<だからわたしたちは、・・・キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。・・・一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。・・・ しかし、愛する人たち、こんなふうに話してはいても、わたしたち はあなたがたについて、もっと良いこと、救いにかかわることがあると確信しています。>[ヘブライ人への手紙 6:2−9]

 「ヘブライ人への手紙」は、1世紀の末近く、迫害の中で信仰を失いそうになっている信徒たちに向けて書かれた慰めと励ましの説教ではないかと言われています。

 著者は、洗礼を受け信徒となった人々が、次々と教会を去っていく。その状況を目前にしながら、大きな悲しみと、危機感を持って訴えます。「それは、あなたがたにとって堕落(破滅)ではないか。イエスを改めて十字架につけているようなものではないか。何とか立ち返ってほしい。成熟を目指して進んでほしい。もっと大人の信仰持ってほしい。」

 この問題は、現代の日本のわたしたちにとっても、2000年昔のこと、他人ごとではないように思われます。明治以来、日本のキリスト教の一つの特徴として「卒業信者」ということが言われてきました。学生時代は、よく教会に行く、熱心に教会活動も行う。しかし、学校を卒業した途端、教会に行かなくなる。キリスト教は、彼らの心に何の傷痕も残しておらず、日本における宣教はざるで水をすくうようなものだ、というのです。隅谷三喜男氏は、著書『現代日本とキリスト教』(新教出版社)の中で、このように書いています。

 <教会を去っていく人々の数の問題よりも、その去り方に問題があるといえよう。というのは、根を深く張っていれば、引き抜いても跡が残る。信仰もしっかり根を下ろしていれば、信仰を捨てるにしてもそこに傷痕が残るであろう。ところで日本の信徒の場合をとってみるに、その傷痕が見当たらない。「背教者」の意識は存在しないのである。それどころか、「卒業信者」が多いのであり、教会を青春の日の懐かしい思い出の一つとして思い返しても、そこには痛みも感じないし、再びそこに帰っていこうとする者もほとんどいないのである。>(『現代日本とキリスト教』39頁)

 しかし、ヘブライ人への手紙の著者は、仲間の信徒たちを、どうにもならない者と見ていたわけではありません。あなたたちは、これまで、教会のために沢山働いてきたではないか。弱い人、貧しい人たちに十分愛を示してきたではないか。だったら、その熱意をこれからも続けてほしい。成熟を目指して前進してほしい。神は、誠実な方だから、必ず、あなたがたの示した愛の行為を覚えていてくださるはずだ、と訴えるのです。

 「成熟」という言葉は、「深化」「深まり」と言い換えてもよいかもしれません。信仰を深めるために大切なことの一つは、「思索すること」ではないでしょうか。わたしたちは、時々、自分の信仰を吟味してみる必要があります。世の中に起こることは、何時自分の身に起こってもおかしくありません。できれば、そのときになって、慌ててじたばたしないようにしたいものです。

(牧師 広沢敏明)


2006年10月22日(日)(聖霊降臨後第20主日 B年) 晴れ
「 暗闇に立つイエス 」

――今日の聖句――
<というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。更に、神の前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。・・・さて、わたしたちには、・・・偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、・・・この大祭司は、わたしたちの弱さに、同情できない方ではなく、・・・あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。>[ヘブライ人への手紙 4:12−16]

 今日の聖句は、「ヘブライ人への手紙」からの抜粋です。この手紙は、1世紀の末ごろ、ローマにあって、打ち続く苦難の中で、信仰にも動揺をきたしているユダヤ人クリスチャンへの励ましと慰めの説教ではなかったかと言われています。2000年前のローマと現代の東京は同じではありませんが、わたしたちを神から引き離そうとする力は、むしろ2000年前とは比較にならないくらい強まっているのではないでしょうか。その意味で、この手紙は、わたしたちにとって、大きな励ましと慰めの手紙でもあります。

 最近のテレビや新聞は、「北朝鮮の核実験」と「学校におけるいじめ」の記事で覆われています。なぜ、戦争やいじめがあり、何時までもなくならないのか。牧師も時々詰問を受けます。「神は、本当におられるのか。おられるとしたら、何をしておられるのか。なまぜ、戦争やいじめがいつまでもなくならないのか」。

 問題の本質は、このような闇、戦争やいじめは、自分の外の世界だけにあるのではないということです。わたしたちは誰も、自分の中に他者には見られたくない、他者に見られてしまっては生きてはいけないような、闇の部分を持っています。それはまた、自分自身でも見たくない部分でもあります。だから、心の奥に隠してあるのです。

 この手紙は、丁度、外科医が、癌に侵された部分とそうでない部分を見分け、鋭利なメスで切り離すように、「神の言葉(聖書の言葉)は、わたしたち一人ひとりが抱えている心の闇をえぐりだす』と言います。このような醜い心の闇を、誰も見たいとは思わないでしょう。なぜそれを抉り出し、見つめねばならないのか。それは、それをしっかり見つめない限り、「戦争もいじめ」もなくならないからです。

 わたしたちは、できればこのような闇を見ないで済む、すべて昼のように明るく輝いている人生を望みます。しかし、現実の人生は、いろいろな困難や障害が待ち受ける暗闇の中を手探りで歩いていくようなものではないでしょうか。このような、わたしたちに対して、この「ヘブライ人への手紙」は、突然調子を変え、このように語り始めます。「漆黒の暗闇を歩くわたしたちの前に、イエスが立っておられる。この大祭司イエスはあらゆる試練を受けられた方だから。必ず、わたしたちの苦しみを分かってくださる。だから、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」

 「恵みの座に近づく」とは、「信仰をしっかり保つ」ことにほかなりません。暗闇の中でこそ、わたしたちにはイエスが必要なのです。神は何をしておられるか。イエスは何時もわたしたちの前に立っていてくださるのです。

(牧師 広沢敏明)


2006年10月08日(日)(聖霊降臨後第18主日 B年) 晴れ
「 救いの創始者 」

――今日の聖句――
<多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。>[ヘブライ人への手紙 2:10]

 礼拝では、今日から7主日にわたって「ヘブライ人への手紙」が朗読されます。この手紙は、かつては使徒パウロが書いた手紙の一つだと考えられていましたが、現在では、その文体や用語、また信仰の強調点の違いなどからパウロとは別の無名の著者の作と考えられています。しかし、その文章は、新約聖書の中で最も美しく、格調高いギリシャ語と言われており、その中にはわたしたちがぜひ覚えておきたい言葉も少なくありません。また、書かれた場所は、多分ローマ、1世紀の終わりに近いころ、ローマに住むユダヤ人信徒のために書かれたという説が有力です。

 当時、ローマは世界最大の都市でしたが、その中でクリスチャンたちはまだ微々たる存在で、クリスチャンであるがために、迫害に遭うこともありました。その中で、主イエスの死から5,60年が経過し、初期の燃えるような信仰に衰えが見え、何のためにこのような苦難を受けねばならないかという疑問が広がってきました。この手紙は、そのような信徒たちを、励まし慰めるために書かれたと言われています。

 <苦しい大きな戦いによく耐えた 初めのころのことを、思い出してください。あざけられ、苦しめられて、見せ物にされたこともあり、このよう な目に遭った人たちの仲間となったこともありました。・・・自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。> [ヘブライ人への手紙 10:32―35]

 今日の聖句に『救いの創始者』という言葉があります。『救いの先達』と訳した古い聖書もあるそうです。英語の聖書ではリーダーとかパイオニア(開拓者)とも訳しています。イエスは「救いの先達」であり「救いの開拓者」だというのです。

 皆さんの中には、登山の愛好家もおられると思います。私は登山が趣味というわけでははありませんが、40年くらい昔、北アルプスの仙人池に映る剣岳の写真を見て、どうしてもそこに行きたくなり、大学登山部出身の友人に頼んで案内してもらったことがあります。高い山に登るのは初めてで、どのルートを取るか、どこにテントを張るか、どこに危険があるか、天候は大丈夫か、すべて彼に任せ切りで安全に目的を果たすことができました。最近、日本経済新聞の『私の履歴書』に、五大陸の最高峰からスキーで滑り降りた冒険家で登山家の三浦雄一郎氏が登場し、「青春時代の始まりに孤独に耐え、生きる原点を繰り返し体験したことは、その後の人生の荒波で大きな原動力になった」述懐しています。

 ヘブライ人への手紙は、救いの道もこれと同じだと言います。わたしたちは、自分の力や努力によって救いを勝ち取るには余りにも弱い存在です。何千年経っても止まない戦争、貧困、差別はこれを示しています。しかし、神は、イエスをわたしたちに遣わしてくださいました。イエスは、「救いの先達」「開拓者」です。わたしたちの成すべきことは、このイエスに、ただひたすら従っていくことではないでしょうか。次の言葉を心に刻みたいと思います。

 <事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。> [ヘブライ人への手紙 2:18]

(牧師 広沢敏明)


2006年10月01日(日)(聖霊降臨後第17主日 B年) くもり
「 イエスの弟子、ヨハネ 」

――今日の聖句――
<ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」>[マルコによる福音書 9:38−41]

 聖書は、初代教会において重要な役割を果たしたイエスの弟子たちを、決して美化しませんでした。愚かで、あさましく、野心的で、過ちを犯しやすい、そのありのままの姿を描いています。今日の聖句には、十二弟子の一人のヨハネが登場します。

 ヨハネは、ガリラヤ湖の漁師、ゼベダイの子、十二弟子の一人であるヤコブの弟です。十二弟子の中で、その性格や人柄をある程度推測できるのは、ペテロとこのヨハネくらいかも知れません。福音書には彼の人柄を物語るエピソードが幾つか記されています。

 イエスは、彼ら兄弟を「雷の子ら」と呼ばれました。一体どんな性格だったのでしょう。イエスが十字架上の死を覚悟され、エルサレムを目指して旅を続けておられる途中のこと、或るサマリアの村に入られたときのことです。その村人がイエスを歓迎しなかったことに腹を立てたヤコブとヨハネが、イエスに言います。

 <「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」>[ルカによる福音書 9:54]

 何とも乱暴な発言ですが、彼はイエスから、こっぴどくたしなめられます。また、イエスが、エルサレムに入城される直前、この兄弟はひそかにイエスに直訴します。

 <「主よ、栄光をお受けになるときに、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。>[マルコによる福音書 10:36]

 これを聞いたイエスは言われます。「あなたがたは、自分が何を願っているのか分かっていない。」二人の抜け駆け的な行動を知った他の弟子たちは激しく怒った、と聖書は記しています。

 もう一つのエピソードが、今日の聖句です。イエスが悪霊を祓い病気を癒されるという噂がユダヤ全土に広まるにしたがい、イエスの名をかたって悪霊祓いをする者が現れ始めました。その現場を目撃したヨハネは、それを止めさせようとします。しかし、イエスは、「止めさせてはならない」と言われます。ヨハネの心に、神の恵みを独占しようとする特権意識のようなもの感じられたからではなかったでしょうか。

 わたしたちが注目したいのは、このような弟子たちが変えられていったことです。イエスが十字架上に死なれた後、弟子たちはイエスと同じ運命になることに怯えて、肩を寄せ合い息を潜めて、隠れ家に隠れていました。そこで彼らは、イエスとの3年間を振り返りました。そして、「イエスは何者であったのか」「自分たちはこれからどうすればよいのか」を繰り返し語り合いました。そして遂に、彼らが認識の高みに到達する時がやってくるのです。それは、「イエスは、わたしたちを愛するがために、ほかでもないわたしたちの罪のために、十字架にかかられたのだ。そのようなことができるのは神においてほかにはない」、という認識です。もう彼らには迷いはありませんでした。その時から、再び彼らはしっかりとイエスの弟子としての歩みを始めたのです。

(牧師 広沢敏明)


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Last Update Nov/14/2006 (c)練馬聖ガブリエル教会