今週のメッセージ――主日の説教から


2007年08月26日(日)(聖霊降臨後第13主日 C年) 晴れ
「 地の基ふるい動く:地球温暖化 」

――今日の聖句――
(1)<あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」>[ヘブライ人への手紙 12:26]
(2)<地の基は震え動く。地は裂け、甚だしく裂け、地は砕け、甚だしく砕け、地は揺れ、甚だしく揺れる。地は、酔いどれのようによろめき、見張り小屋のようにゆらゆらと動かされる。地の罪は、地の上に重く倒れて、二度と起き上がることはない。>[イザヤ書 24:18]

 今年の夏は格別の暑さです。原因の一つに地球温暖化があります。20世紀を代表する神学者パウル・ティリッヒは、第二次世界大戦直後、『地の基ふるい動く』という有名な説教を行い、強い警告を発しました。彼は、今日の聖句(2)イザヤ書を引用しながら、このように言いました。

 <これらの(言葉)を真剣に取り上げないで過ごした数十年、否、数世紀さえもがあった。しかし、そうした時代は過ぎ去ったのである。今やわれわれは、こうした言葉を真剣に考えなければならない。なぜなら、彼らの言葉は、人間の大多数が今日経験し、またおそらく余り遠くない将来において全人類が嫌というほど経験することであろうこと、すなわち、『地の基がふるい動く』ということを目の当たりに見るように描いているからである。預言者の幻は、今や現実的な、形而下の可能性となり、歴史的現実とさえなろうとしている。『地は全く砕け』という言葉は、もはや単なる詩的形容ではなく、厳しい現実である。これこそ、今や、われわれが足を踏み入れた時代の宗教的意義である。>

 わたしたちは、ティリッヒの警告に耳を傾けてきたでしょうか。核兵器の拡散と蓄積、環境汚染の広がり、テロと戦争の応酬、また、生殖医療の野放図の進展などは、人間存在の根底を掘り崩しつつあります。まさに「地の基ふるい動く」状況は、深まりこそすれ、改善の兆しすら見えていません。人間は、「より豊かに、より幸福に、より平和に」なることを目指てきましたが、行き着いたところは、「技術の進歩が、却って地球を壊し、人類を滅ぼす」という極めて危険な領域です。地球温暖化は、その中でも大きな問題です。地球温暖化が、初めて全世界の人々に大きな衝撃を与えたのは、1988年、アメリカ議会で、地球科学者ジェームズ・ハンセン博士が、次のような証言をしたことだ、と言われています。

 <地球の平均気温が異常な率で上昇しつつある。これは、自然現象ではなく、人間活動によるもので、とくに化石燃料の大量消費という現代文明によってもたらされたものである。このまま続けば、21世紀の中頃には、地球の平均気温は、現在より2度ないし3度上昇するであろう。それにともなって、気候が大きく変動し、自然環境も、これまで人間が経験したことないほど大きく変わる。そのときには、人類もこれまでのような生活を営むことはできなくなるであろう。>

 わたしたちは、この問題にどのくらい真剣に取り組んでいるでしょうか。ティリッヒは、『これこそ、今や、われわれが足を踏み入れた時代の宗教的意義である』と警告しました。この問題が、わたしたちの「いのち」と「信仰(:生き方)」に大きく関わっていることを忘れてはなりません。

(牧師 広沢敏明)


2007年08月12日(日)(聖霊降臨後第11主日 C年) 晴れ
「 小さな群れよ、恐れるな 」

――今日の聖句――
(1)<小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。>[ルカによる福音書 12:32]
(2)<信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。>[ヘブライ人への手紙 11:1]

 今年も、8月6日に広島、9日に長崎の原爆記念日が巡ってきました。15日には敗戦記念日を迎えます。戦後62回目の記念日です。

 25年前、日本ペンクラブが、作家大江健三郎の選によって出版した、『何とも知れない未来に』という表題の文庫本があります。広島、長崎で原爆を体験した作家たちの作品を集めたものです。表題の『何とも知れない未来に』は、巻頭の原民喜の作品『心願の国』の中に出てくる言葉です。『何とも知れない未来に』、それは、救われるかもしれないが、破滅するかも知れない未来への「恐れ」や「不安」を表しています。原民喜は、救済を夢見ながら、不安と孤独の中で自ら命を絶ちました。

 「何とも知れない未来」、原民喜や大江健三郎が、このように表現するしかなかった状況は、それから20数年を経て、一段と深まっている気がします。核兵器は拡散し、環境汚染は深刻化しています。世界各地で戦争やテロがやまず、わが国では戦争の記憶は薄れ、平和への熱い思いは風化しつつあるように見えます。

 不安の源は「恐れ」です。わたしたち人間は、古来多くの恐れに囲まれて生きてきました。死への恐れ、病への恐れ、飢餓への恐れ、いろいろな恐れがありますが、その中で、最も「根源的な恐れ」は、「死」と「人間」そのものへの恐れとは言えないでしょうか。アメリカをして、62年前、原爆投下に踏み切らせたものも、最近、アフガニスタンやイラクへの攻撃に駆り立てたのも、相手の国民に対する「恐れ」でした。平和の真の敵は自分の外にあるのではなく、自分の中にあることに気づきたいと思います。

 このような「恐れ」の中で、わたしたちは、主イエスの『小さな群れよ、恐れるな』という言葉を聞きます。「恐れるな」という言葉は、旧約、新約を通して、聖書の人間に対する最大のメッセージです。

 また、聖句(2)には『信仰とは、見えない事実を確認すること』とあります。信仰とは、ただ迷わないことではありません。人生の不条理と人間の醜さに満ちた世の中で迷わずに、常に不動の信仰を持つなど言うことはありえないでしょう。むしろ、信仰とは、迷いの中で、人生の不条理や人間の醜さを含めて、人生の根底にある問題から眼をそらさないことです。『見えない事実を確信すること』とは、不条理や、醜さやなどこの世の見える事柄が、見えない事実、つまり神によって支えられていることに気づくことです。それは、苦しい営みかもしれません、しかし、そうすることによってのみ、わたしたちは、「恐れ」から解放されることができるのではないでしょうか。それは、この世界の根底に触れているという安心感といえるかもしれません。

 主イエスは、ルカの教会に『小さな群れよ』』と呼びかけられました。わたしたちのこの教会も小さな群れであります。どうか、この小さな群れであるわたしたちが、この世の事柄から眼を背けず、すべてが神によって支えられていることを確認し、『何とも知れない未来に』いたずらに恐れることなく歩いていきたいと思います。

(牧師 広沢敏明)


2007年08月05日(日)(聖霊降臨後第10主日 C年) 晴れ
「 新しい人 」

――今日の聖句――
(1)<古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。>[コロサイの信徒への手紙 3:9−10]
(2)<「赦しあいなさい、主があなたがたを赦してくださったように。」「愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」「いつも感謝していなさい。」「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。」「詩篇と讃歌と霊的は歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」>[コロサイの信徒への手紙3:13−16]

 パウロの手紙は、どの手紙も大体そうなのですが、前半が神学的な論述、中間が具体的な教会の諸問題に対する回答、そして、後半がこの世に生きる信徒たちの日常生活のあり方に関する勧告となっています。

 今日の聖句(2)は、「コロサイの信徒への手紙」後半の部分で、わたしたちの好きな言葉が幾つも出てきます。パウロは、このような生き方を身に着けた人を、聖句(1)で「新しい人」と呼びました。わたしたちは、「新しい人を身につけなさい」と言われたとき、困惑を覚えるかもしれません。それは、「所詮、欠陥の多い自分には無理だ」とか、「人は、それまでの自分自身とまったく同一の者でありつつ、これまでの自分自身と異なった者であることが、どのように可能なのか」とかという疑問が浮かんで来るからです。

 パウロは、無理なことを人に強いるためにこの手紙を書いたのではありません。「新しい人」に眼ざめたのは、パウロ自身の経験だったからです。

 小アジア南端、キリキアのタルソ生まれのパウロは、また生粋のユダヤ人でした。神から受けた律法を守り、それを解釈する熱心なファリサイ人でした。律法主義者パウロにとって、律法を否定するキリスト教徒は、迫害されて然るべき存在でした。パウロのユダヤ名はサウロと言いました。サウロは、キリスト者を見つけては縛り上げ、エルサレムに送りました。そうすることが、自分自身を保持することにほかなりませんでした。そして、キリスト教徒を逮捕するためにシリアのダマスコに行く途中、光に打たれ、神から直接「律法を捨て、キリストの信仰に生きよ」という命令を受け取りました。このとき、「古いサウロ」は死に、「新しいパウロ」が生まれました。彼の変化は、『外部からの直接的な衝撃』によって引き起こされました。

 現代のわたしたちは、余りにも、科学的・合理主義的な思想に慣らされてきたので、パウロに起こったような「外部からの直接的な衝撃」に懐疑的になってはいないでしょうか。しかし、2000年前に起きて、今、起こらないことは無いはずです。2000年前、地上で猛威をふるっていた悪は、今でも猛威をふるっています。戦争、貧困、エイズ、環境破壊・・・。そうだとすれば、神が直接働きかける「神の力の出来事」は、現代においても、生起しないはずはありません。神は、今も、地上の歴史を貫いて、戦い続けておられる。そして、必要な場合は、人を具体的に助けられるし、人を召して、その人をご自分の戦いに参加させられます。

 わたしたちは、人生のあるとき、洗礼を受けました。或いは、これから洗礼を受けようとされている方もおられます。クリスチャンとは、緩慢にしろ、劇的にしろ「新しい人」に変わろうとする人々の別名であり、神の直接的な働きを敏感に感じ、受け入れる心の余裕を持ちたいと思います。

(牧師 広沢敏明)


メッセージ目次へ トップページへ 東京教区へ

Last Update Oct/23/2007 (c)練馬聖ガブリエル教会