20180617聖霊降臨後第4主日(6月17日)

本日の福音書から  マルコによる福音書4章26-34節 20180617聖霊降臨後第4主日(6月17日)

「イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された」とある通り、イエス様は、「たとえ」を用いて多くのことを教えられました。「たとえ」は、何かをわかりやすく説明するために、ほかの事柄に置き換えて語ることです。しかし、置き換えられた事柄が、未知のものであったり、理解が異なったりすると、「たとえ」は、謎となってしまいます。
本日の福音書には神の国についての二つの「たとえ」があります。神の国が、「土にまかれた種」と「からし種」の二つにたとえられています。植物に疎いわたしは、からし種にたとえられても、逆に謎のような話になってしまいます。しかし、二つのたとえを合わせて考えると、なんとなくわかります。からし種を「主なる神様のみ心を行うこと」と考えると、その行為がどんなに小さくても、人間の思いを超えて、神様の助けによって大きくなり、収穫が得られるようになるほどになる、そう教えられていると思うからです。
この世界に悲しいことが続いたり、今までなかったような悪が現れたりする時、善なることや、愛に満ちた行為は、無力のように思えてしまいます。しかし、そうではないとイエス様は教えられているのだと思います。どんなに小さくても、誰かが、主なる神様のみ心に適う、愛に満ちた行為を行うならば、それは神様の力によって、大きくなる。そう教えておられるからです。どんなに小さくても、愛を行う教会であり、人でありたいと思います。