18:28 2018/10/15 東京聖テモテ教会 - 主日の福音

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★太田信三 司祭による主日の福音

★主日の福音(2025年4月27日)
(復活節第2主日、C年)「疑いの先の信仰告白」(ヨハネによる福音書20:19-31)
 「その日、すなわち週の初めの日の夕方」とあるように、今日の場面は主イエスの復活の日の夕方です。同じ日の朝、主イエスは復活しました。しかし、弟子たちはすぐにそのことを信じることができませんでした。しかし、信じることができなかった弟子たちの真ん中にご復活の主イエスは現れ、「あなたがたに平和があるように」と言いました。裏切り、信じることもできなかった弟子たちを叱るでもなく、平和があるようにと、赦しと平和をそこに届けました。弟子たちは本当に嬉しかったと思います。救われたと思います。しかし、なぜかそこにトマスは立ち会うことができませんでした。トマスは頑なに主のご復活を信じようとはせず、復活が事実だということの確証を求めました。
 私はトマスがいてくれて本当に良かったと思います。トマスのおかげで、信仰の一つの大切なあり様が示されたように感じられるからです。もしかすると、トマスは他の弟子たちがご復活の主イエスに会ったことが羨ましくて仕方がなかったのかもしれません。他の弟子たちに嫉妬するほど主イエスに会いたかった彼は、まるで子どものようにふてくされて、「傷を見るまでは信じない!」などと頑なになってしまいました。私は自らを省みるとき、トマスのように素直に、嫉妬して、ふてくされるほどに主イエスを求めているだろうかと思わされます。何よりも、私たちはトマスがいてくれたおかげで、主イエスの優しさを知ることができます。傷を見るまで信じないと言ったトマスにも主イエスは現れ、ご自分の傷に触れるようにと声をかけました。ここに主イエスの愛の深さを感じずにはいられません。その愛に触れたからこそ、「信じないものではなく、信じるものになりなさい」と言われたトマスは、傷に触れるまでもなく、「私の主、私の神よ」と言いました。つまり、トマスは主イエスを「神」として信仰告白したのです。これは、それまでどの弟子たちもしなかった最初の信仰告白です。トマスは疑いました。しかし、疑いの先に主イエスに出会い、その愛に触れ、主イエスへの深い信仰へと導かれたのです。
 信仰において、疑問を抱くことは決して悪いことではありません。それどころか、その疑問を主にぶつけるなら、トマスのように深い信仰へと迎えられます。しかし、主に疑問をぶつけぬままに自己完結してしまっては、信仰の旅はそこでストップしてしまいます。

★主日の福音(2025年5月4日)
(復活節第3主日、C年)「主だ!」(ヨハネによる福音書21:15-25)
 今日の福音書、主イエスが弟子たちに網を下ろすよう命じると、大量の魚が獲れました。これに類似した話が、他の福音書では弟子の召命のところにおかれています。しかし、ヨハネによる福音書はこの箇所をご復活の文脈においています。ヨハネによる福音書は、四福音書の中で最も後期に記されたもので、著者が属したであろうヨハネ教団は、主イエスに直接会うことがなかった世代の人々です。しかし、ヨハネによる福音書は繰り返し「時空を超えて、あなたがたも、主イエスに会える」ということを伝えます。2000年後を生きる私たちも、主イエスに会うことができる、そう言うのです。しかし、そのような出会いはどうすれば起こるのでしょうか。それが、今日の福音書に記されていることです。
 漁は夜に行います。しかし、弟子たちは何も獲れないまま夜が明けてしまいました。そこに、ある人が来て、網をおろしなさいと言いました。言うとおりにすると、なんと大漁の魚が掛かりました。その人の言葉が大漁の恵みをもたらしたのです。漁を宣教活動と捉えるなら、ヨハネ教団の人々は宣教活動の中でこの恵みに与り、それを起こしたのが「主だ」と実感したのです。たとえば、私たちも教会の交わりにおいて、主イエスが導いてくださらなければ、出会うことがなかった人々と出会います。また、想像もつかない導きによって、教会を訪れる人を目の当たりにします。その時、私たちもこのことを起こしてくださったのは「主だ」と実感します。ヨハネ福音書が伝え続けるのはこの「実感」です。そして時を超え、今でも「主だ」という実感の中で、私たちも主イエスに出会うことができると伝えるのです。
 主イエスは、獲れた魚をさっそく焼いて、パンと共に弟子たちに与えました。もはや、弟子の誰一人、「あなたはどなたですか」と問う者はいませんでした。その言葉によって大漁に恵まれ、共に食事をするその交わりにおいて、主イエスが共におられることを実感したからです。これが、ヨハネ教団の人々の実感でした。私たちもまた、この交わりにおいて、主イエスと今、会うことができます。私たちは互いに無関心であったり、食事もできないような関係であってはなりません。そうではなく、主の言葉に信頼して網を降ろし、共に食卓を囲む、まさに神の家族の交わりにおいてこそ、2000年後を生きる私たちも、主イエスと共に生きることができます。主イエスは今も、み言葉によって導き、共に食事をする交わりへとすべての人を招いておられます。

★主日の福音(履歴)

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