18:28 2018/10/15 東京聖テモテ教会 - 主日の福音

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★太田信三 司祭による主日の福音

★主日の福音(2026年6月14日)
(聖霊降臨後第3主日、A年特定6)「遣わされ、結ばれる」(マタイによる福音書9: 35-10:8)
 主イエスの語ること、なさったことの基にはいつも、今日の福音にある、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」という、「憐れみの思い」がありました。憐れみと訳されているのは、「はらわた」を意味する名詞から派生した単語です。中国の故事による「断腸の思い」という言葉にもそのような感覚が読み取れますが、古代の人々は心臓を理性や意志の働く場所として考え、「はらわた、内臓」を感情の座として捉えていたようです。それゆえ、主イエスの「憐れみ」とは、腸がちぎれる程の痛みを伴うものだったと読むことができます。弱り果て、地にうなだれこむ群衆を見つめる主イエスの眼差し。その思い、共感、共苦のいかに深いことでしょうか。主イエスはその深い憐れみにより、十字架上へ自らの命を差し出しました。それゆえ、十字架のお姿にはすべての人を憐れむ神の愛が満ち満ちており、天と地の間にたてられたその十字架こそが、神とすべての人とを結ぶのです。
 この主イエスの役割を教会は受け継いでいます。教会の働きとは、自らの命をも差し出すほどの主イエスの深い憐れみ、深い共感、共苦の上になされなければならないのだということです。主イエスの「思い」がそこにあるからこそ、教会は「天の国は近づいた」と宣言し、その使命を果たすことができます。そのために、私たち自身が日々、主イエスの「思い」に生かされ、励まされ、変えられなければ、私たちの働きは虚しいものになってしまいます。
 今日の福音で、イエスにより派遣される使徒たちは、立派な学問的背景も、弁論術も持ち合わせていませんでした。その彼らが何を伝えられるというのでしょうか。それこそ、そのようなものを何も持っていない彼らの姿そのものです。身なりや外見、知識ではなく、ただ神の憐れみに生かされ、他者を愛そうとする姿です。主イエスは、『平和があるように』と挨拶した先で拒まれたなら、その平和はあなたがたに帰ってくると言われました。なぜなら、拒まれたことで、今、不正義の中で打ちひしがれる人に共感する心が与えられるからです。その共感、共苦によって、あなたと今打ちひしがれている人は結ばれる、まことの平和がそこに生まれる、そう主イエスは言われているのです。深い相手への思い、自らもはらわたに強い痛みを感じつつする行いからにじみ出るものこそ、使徒たちが持ち合わせていたものでした。
 「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」と主イエスは言いました。すべてのものは主の賜物、と毎週礼拝で言っておきながら、それを握りしめ、自らのためだけに用いるならば、そこに「天の国」はありません。十字架上で両手を広げ、命をも差し出す主イエスの姿に倣い、私たちもまた、握りしめているものを手放し、両手を広げて歩んで行くことができますように。

★主日の福音(2026年6月21日)
(聖霊降臨後第4主日、A年特定7)「恐れ」(マタイによる福音書10:24-39)
 先週の福音で、主イエスは弟子たちを派遣するにあたり、次のように言われました。「私はあなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り込むようなものである。」主イエスが言われる通り、狼の群れの中で主イエスにのみ従う羊として生きることは困難です。狼に襲われる恐怖から逃れるために、人はイエスさまよりも他の何かに頼ってしまうこともあるでしょう。恐れの中で、時には自らが狼になってしまうことさえあります。「恐れ」とはそれほどに厄介なものです。主イエスはこの「恐れ」の厄介さをよくご存じだったからこそ、今日の箇所で繰り返し「恐れるな」と弟子たちを励まされたのでしょう。
 主イエスはまず、「人々を恐れてはならない」と言われます。なぜなら、「体は殺しても、命は殺すことのできない者どもを恐れるな」とある通り、人は主イエスの体を十字架によって殺すことはできても、その命までも葬ることはできませんでした。「命も体もゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」とあるように、それができるのは神だけです。人を創造し、イエスを復活させた神だけが、命を滅ぼすことも救うこともできます。だからこそ、いかなる迫害も恐れることはないと主イエスは弟子たちに告げます。
 そして、驚くべき福音が続けて語られます。そのすべての命を支配する神が、人間の髪の毛一本までも数えているというのです。自分の髪の毛の数を知ることは人間にはできません。つまり、神が自分自身以上に「私」のことを知ってくださっているということです。「二羽の雀は一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない」とある通り、一羽の雀の死をも神は見過ごされません。その神は、今も未来も、死してなお、私たちを決して放っておかれず、見捨てることもありません。「恐れるな」という主イエスの言葉は、この神への信頼に基づく言葉です。この神が共におられるからこそ、私たちは恐れることはないのです。
 しかしそれでも、狼の群れの中で羊として生きることは困難が伴うでしょう。恐れはそれほどに強いからです。では、どうすれば良いでしょうか。主イエスは、「私が暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを屋根の上で言い広めなさい」と言われました。これは、暗闇の中でも祈り、神の語りかけを聞きなさい、ということではないでしょうか。主イエスは捕らえられる前、ゲッセマネの闇の中で祈りました。神はその主イエスに語りかけ、主イエスはその言葉を聞き、御心に自らを委ねました。この主イエスにならい、私たちも困難の中で祈るなら、神は私たちにも語ってくださいます。恐れの中で耳を塞ぐのではなく、その言葉を聴き、従って歩もうとすることで、私たちはこの世にあっても主イエスにのみ従う羊として生きることができるのです。

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