18:28 2018/10/15 東京聖テモテ教会 - 主日の福音

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★太田信三 司祭による主日の福音

★主日の福音(2025年12月14日)
(降臨節第3主日、A年)「自分の喜びとイエスさまの喜び」(マタイによる福音書11:2-11)
 降臨節第三主日は、ローズサンデー=喜びの主日とも言われます。アドヴェントクランツのロウソクの色もバラ色です。この主日、わたしたちにとって本当の喜びとは何か、あらためて福音に聴きたいと思います。
 洗礼者ヨハネは獄中から弟子を遣わし、主イエスに尋ねさせました。
 「来るべき方はあなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか。」
 ヨハネはイエスがメシアだと知っていたはずです。しかし、ヨハネが待ち望んでいたメシアとは、悪を一掃する裁き手でした。ところが、イエスはいっこうに裁きの火を燃やそうとしません。ヨハネが期待したメシア像と、実際のイエスは異なったのです。ヨハネの中に疑いが生じます。ヨハネは牢の中でキリストのなさったことを聞いていました。にもかかわらず、彼は自分が望むメシア像から抜け出せず、イエスに対する不信に襲われています。
 そのヨハネに対しイエスは、「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。」とヨハネの弟子を遣わし、イエスがなさっていることを伝えさせます。そこに福音が、神の国が実現しているからです。今日の福音の後半、「預言者以上の者」と言われるヨハネですら、天の国では最も小さな者だとイエスは言います。なぜならそれは、ヨハネはまだこの福音に与っていなかったからです。
 イエスが行う奇跡は言葉によってなされました。「光あれ」という言葉によって神の創造がなされたように、イエスの言葉に神の力が働き、新しい世界の創造が実現します。イエスはヨハネの弟子たちに伝言を託すことで、あなたがたはもう神の言葉による新しい世界の実現の知らせ=福音を聞き、見ているのだ、ここに天の国が実現しているのだ、とヨハネを福音へと招いたのです。
 「わたしにつまずかない人は幸いである。」とイエスは言います。幸いへの道は、自らの思い込みではなく、イエスに「聞く」ことにはじまります。ただ、自らの期待をメシアに押し付けようとするなら、イエスの真実を掴みそこねて、つまずくことになります。ヨハネの疑いや不満は、彼が本気でメシアを待ち望んでいたからこそであった、とも言えるでしょう。彼はその疑いや不満を抱きつつも、イエスに尋ねました。このことを大切にしたいと思います。わたしたちも、自分の思いと主の思いとのズレを感じることがあるなら、祈りの中で、素直にイエスに尋ねる者でありたいと思います。そこで示される言葉を聞いて、自らの喜びではなく、イエスの喜びを受け入れるなら、そこに天の国からの幸いが訪れます。「喜びの主日」にあって、主からのまことの喜びをいただきたいと願います。

★主日の福音(2025年12月21日)
(降臨節第4主日、A年)「神を求めるところに」(マタイによる福音書1:18-25)
 「イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。」と始まる今日の福音。直訳すると「イエス・キリストの起源はこのようであった。」です。ここで「起源」とされた単語は「ゲネシス」というギリシャ語で、マタイによる福音書1:1「系図」にも同じ単語が使われています。今日の福音は、産まれてくる子が誰であり、どこから来るのかを説明する箇所だと言えます。
 「ゲネシス」という単語は、旧約聖書のギリシャ語訳では創世記のタイトルとされ、英語でも創世記は「Genesis」ですから、今日の箇所のイエス誕生の物語と神の創造の物語が重ねられていると読むことができます。創世記では、神が世界を創造し、すべての命を祝福します。けれども残念ながら、人は神のもとを離れてしまいます。それでも人を救おうとする神と、繰り返し離れる人間の物語は、旧約聖書の終わりまで続きます。しかし神は、イエスによって再びすべての命とご自分との関係を回復されるのです。
 すべての命、世界の再創造がイエスによって開始されます。神の祝福から離れ、孤独や苦しみに生きる人間を、神が再びご自分のもとへと集める。そのために、まことの羊飼いとして御子がわたしたちのもとに遣わされます。
 創世記とイエス誕生の物語を見るとき、カインによる弟殺しと、ヘロデによる嬰児大量虐殺を重ねずにいられません。神による創造の直後にも、イエス誕生の直後にも、人が人を殺す出来事が起こります。このことは、カインから私たちまで、人が変わることなく罪深い存在であることを明らかにしています。カインは弟への嫉妬で弟を殺します。ヘロデも、嫉妬や自らの地位が脅かされることへの恐怖からです。ここに、リアルな人間の姿を認めなければなりません。自らを王とするのが人間です。私たち皆がカインとヘロデと同じ人間です。
 神から離れることが「罪」だと聖書は伝えます。その人間の実態は、かくも恐ろしいものです。そしてその姿を自分自身のうちに認めるとき、私たちは自らに頼るのではなく、神からの助けを求めずにはいられなくなるはずです。そして、そのことこそが悔い改めの入り口なのです。その悔い改めの入り口に立つ時、わたしたちにもヨセフの信仰への道が開かれます。ヨセフが聖霊を受け入れたことでイエスが誕生したように、私たちも神を求め(悔い改めの入り口に立ち)、聖霊をお迎えし、その聖霊によって変えていただくとき、心から自らのこととして救い主の誕生を祝う者とされるのです。

★主日の福音(履歴)

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