18:28 2018/10/15 東京聖テモテ教会 - 主日の福音

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★太田信三 司祭による主日の福音

★主日の福音(2026年1月11日)
(顕現後第1主日、A年)「我々にふさわしいこと」(マタイによる福音書3:13-17)
 イエスの受洗は、洗礼者ヨハネからイエスへ=預言者の時代から神の愛する子の時代への転換の出来事でした。イエスはヨハネが思いとどまらせようとしても、「今はそうさせてもらいたい。すべてを正しく行うのは、我々にふさわしいことです。」と言い、洗礼を望みました。「我々」とは、イエスとヨハネだけではなく、ヨハネのもとへ洗礼を受けるために押し寄せているおびただしい群衆をも含む言い方です。神の愛する子は、すべての命を「我々」と言って下さる方であることがここに示されています。そのイエスは、救いを求めてヨハネのもとに集う人々と共に歩むために、自らも洗礼を受けられました。そしてその人々が「今」すべき「正しいこと」を示しました。御子によるあたらしい時代を迎える「今」にあって、神が人に望む正しいこととは、ヨハネの呼びかけに応え、回心の洗礼を受けること。つまり、神から離れている心を、御子によって訪れる新しい時代に向けることです。イエスはご自分も洗礼を受けることで、皆と歩みを共にし、すべての人を来たるべき時代へと導こうとされたのです。
 イエスは神と人とを再び結ぶために、洗礼によって神の霊と祝福を受け、歩み始めます。その歩みの行き着く先、イエスは天と地の間に立てられた十字架において、私たちと神をとりなしてくださいました。そして、イエスが十字架上で絶命したとき、神殿の幕が避け、神と人とを隔てるものは取り去られました。こうして十字架は、神と私たちを結ぶ架け橋となったのです。イエスが洗礼を通して「我々」と一緒になってくださったこと、そしてご自分の命もろとも神のもとまで導いて下さったからこそ、私たちにとって十字架は命の架け橋となったのです。
 イエスが洗礼を通して、「我々」=私たちと一緒になってくださったからこそ、私たちはイエスを信じ、御後に従うことで神と生きる世界へと迎えられる道が開かれました。イエスは十字架によって「今」も、私たちと神を結ぶ道となってくださっています。ですから、今を生きる私たちも、2000年前ヨハネのもとに押し寄せた人々にイエスが示した御子による新しい世界へと心を向けるなら、私たちもイエスによってもたらされる新しい世界へと迎えられます。
 私たちはヨハネの洗礼とは異なり、父と子と聖霊の御名による洗礼を授けられ、イエスによってもたらされた新しい命、神と神の霊とともにある命をいただきます。この命をいただいている者として、「今」あらためて心を神に向け、歩み始めましょう。

★主日の福音(2026年1月18日)
(顕現後第2主日、A年)「泊まる、とどまる」(ヨハネによる福音書1:29-41)
 「〇〇さんを知っている」というとき、ただ名前だけ知っているのと、その人のひととなりまで知っているのとでは大きく異なります。イエスを知っている、というのも同様です。ただキリスト教の教祖としてか、まことに救い主としてか。両者には大きな違いがあります。ヨハネ福音書には、まことの救い主としてイエスを知るため、イエスと出会うために大切なことが示されています。
 洗礼者ヨハネの二人の弟子が、イエスの弟子となるためについてきます。イエスは振り返り、後をついてくるこの二人に「何を求めているのか。」と問います。彼らは問いで答えます。「先生、どこに泊まっているのですか。」これは奇妙なやり取りに感じられますが、イエスはきちんとお答えになります。「来なさい。そうすれば分かる。」この直訳は「来なさい、そして見なさい」です。彼らはイエスの泊まるところについていき、見ました。何を見たのかというと、イエスの上に霊がとどまっていることを見、イエスが神にとどまる、神の愛の内に生きるまことのメシアだということを見て、知ったのでした。
 ここまで何度も使われている「泊まる」と訳されている単語は「μένω(メノー)」というギリシャ語で、ヨハネ文書で最も大切な単語の一つです。驚くほど頻繁に使われていますから、是非読み返してみてください。他の箇所では「とどまる」とか「繋がる」とか「内にいる」と訳されています。なぜこの単語が大切かと言うと、「相互内在」ということが、イエスとの出会いには不可欠だからです。「相互」とは、イエスと私、「内在」とは相手の内に存在する、とどまる、ということです。イエスが私たちの内にとどまり、私たちもイエスにとどまるなら、私たちは時空を超えて救い主としてイエスを知ること、出会うことができる。このことをヨハネ文書は伝えているのです。
 二人の男たちは、イエスのもとに泊まる(とどまる)ことでイエスを知り、イエスと神との交わりに迎えられました。「何を求めているのか」と問われたイエスは、この神との関係へと二人を招いたのです。二人の男はその招きに応え、イエスにとどまることで、まことのメシアと出会いました。「私たちが愛するのは、神がまず私たちを愛してくださったからです(Ⅰヨハネ4:19)」とある通り、「相互」に「内在」できるのは、イエスがまず私たちを愛し、私たちにとどまってくださるからです。主の愛の招きに応え、イエスの愛にとどまって生きていくことができますように。

★主日の福音(履歴)

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