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東京聖テモテ教会管理牧師 司祭 セラピム 橋 顕

★主日の福音(2018年1月14日)
「知識の確信」を越えて(ヨハネによる福音書1章43〜51節)
 イエスに従って弟子となったフィリポは、ナタナエルに、昔から預言されている救い主がイエスであり、自分はナザレの人、イエスと出会った、と伝えます。しかしナタナエルは、これまでの自分の知識と伝えられてきた教えに基づいて、「ナザレの出身者から救い主は現れない」とフィリポの言葉を否定します。
 しかし、ナタナエルのこの「知識の確信」を、友人であるフィリポはたった一言で、根底から問い直します。「来て、見なさい」という一言です。フィリポは、知識と議論で、ナタナエルの考えを変えようとはしませんでした。それよりも、イエスが救い主であるというこの真実を、「来て、見なさい」とただ一言述べたのです。人が、神の救い、福音に与るとは、知識や議論によってではなく、自分が「来て、見て」出会うことなのです。フィリポはこの信仰の原点をナタナエルに言い示したのです。そしてフィリポがそう言えたのは、誰が救い主であるのか、自分自身がはっきりと出会って知っていたからです。
 ナタナエルはフィリポと共にイエスのいるところへ向かいました。しかしイエスはもう、ナタナエルのことを知っていました。「知識の確信」を越え、「信仰の確信」をもって進む時、その先に、イエスが待っておられるのです。フィリポのように、「来て、見なさい」と言える、「信仰の確信」が求められています。

★主日の福音(2018年1月21日)
呼ばれて、従う(マルコによる福音書1章14〜20節)
 イエスと行動を共にした12人の弟子たちは特に「使徒」と呼ばれますが、この12人の弟子たちのもともとの職業や生い立ちや生き方は、多様でした。イエスに従って弟子となる前のこの12人は、本日の福音書にもある通り、ある者たちは漁師であったり、また収税人、またある者は政治結社のメンバーでもありました。その彼ら12人は、それぞれイエスに出会い、イエスに従って共に歩む、ということがなければ、お互いに決して一緒になることはあり得ないことでした。
 イエスはその弟子となる一人一人を「御覧になり」、私に従いなさいと「お呼び」になります。呼ばれた一人一人がそれぞれ「イエスに従って」、弟子となります。イエスは、何か能力のある人、才能のある人、秀でた力のある人を見ぬいて、私に従いなさいと声をかけたのでしょうか。イエスは、その人のどんな力を期待して弟子になるように声をかけたのでしょうか。イエスに呼ばれて弟子となったこの12人たちに共通している一つの行動の姿があります。それはイエスに呼ばれて、「従う」、という行動を起こしていることです。イエスは、何かの能力や優秀な才能や秀でた力を持っている人に、それらの力を期待し、求めて、弟子となるように声をかけているのではありません。そうではなく、その人の、ひたすらイエスに「従う」という、その力を求めて、イエスは招いておられるのです。
 「私について来なさい」、とイエスは、私たち一人一人を招いておられます。私たちはその呼びかけを受け入れ、その呼びかけに応えることができます。なぜなら、「従うという力」をすべての私たちは持っているからです。

★主日の福音(履歴)
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