Sunday's Gospel
太田信三司祭による主日の福音メッセージです。最新分を掲載するとともに、過去の説教は PDF でご覧いただけます。
「神の忍耐」
今日の福音でも、主イエスは天の国をたとえ話によって示されました。
敵が夜の内に毒麦を蒔いてしまいます。それを知った僕らは、毒麦を抜き集めることを主人に提案しますが、主人はそれを望みません。「麦も一緒に抜くかもしれない」からです。実際、毒麦は実をつけるまでは麦と区別することが難しく、誤って麦まで抜いてしまう恐れがあったのです。さて、この主人の反応は何を表しているのでしょうか。それは、神はこの主人のように、実りを信じ、忍耐してくださる方である、ということです。
神のその忍耐を、主イエスはご自身の生き方によって示されました。主イエスは人々から「徴税人や罪人の仲間」と見られていました。洗礼者ヨハネは主イエスが「悪を滅ぼす」ことを期待していたので、主イエスがなかなかそれをしないどころか、罪人との交わりを深めるのを見て疑問を抱き、「来たるべき方は、あなたですか」と問わずにはいられなくなる程でした。しかし、主イエスが来られたのは、人々を糾弾し、滅ぼすためではなく、忍耐と憐れみをもって、人々を悔い改めへと導くためだったのです。神の忍耐により神の憐れみと赦しを経験した者は、神の寛容さを、そして神の深い愛を知ることになるからです。
しかし、人は忍耐することができません。そのことが先程の僕の言葉に表れています。「毒麦を抜き集めましょうか」と伺い調ですが、内心は早く抜いてしまいたい。人は、忍耐する神よりも、すぐに力を発揮してくれる神を求めてしまうのです。さらには、自分の手で確実に実りを得ようとし、焦り、刈り取ろうとする。つまり、裁くのです。しかし、その先には神が忍耐の先に実現してくださる豊かさとは遠く離れた、貧しく、寂しい世界しか待っていません。
何が正しく、何が悪なのかということは、具体的なことになればなるほど分かりにくく、識別は難しくなります。完璧な識別など、人間にはなしえないのです。であれば、そのことを認め、裁きは神に委ね、自らはみ言葉に誠実に生きようとすることに励みたいと思います。今日のたとえ話しの主人のように、神は忍耐をもって、わたしたちを見つめておられます。目先のことに囚われ、裁き合うのではなく、忍耐してくださる神に信頼し、忍耐と憐れみをもって互いに関わり合うことを諦めない。そう生きられますように。またわたしたちの共同体がそのような共同体とされますように。心から求めましょう。その先に、「正しい人々は父の国で、互いに太陽のように輝く」世界が広がっています。
「み言葉の種」
教会の庭を眺めていると、冬には枯れたように見えた木々が、春になると青々と葉を茂らせていることに気づきます。お世話をしてくださる方々のおかげでもありますが、それだけではありません。目には見えなくても、根には絶えず養分が送られ、命が育まれているのです。何もないように見えた土から芽が顔を出す姿を見るたびに、神がお造りになった命の不思議を思わされます。同じように、私たちの目には見えなくとも、神の恵みは絶えず一人ひとりに注がれています。
今日の福音では、主イエスは「種を蒔く人」のたとえを語られます。パレスチナでは、種を蒔いた後で土地を耕す農法が一般的でした。そのため、種は道端や石地、茨の中にも落ちます。決して効率のよい蒔き方ではありません。それでも農夫は豊かな実りを信じて、惜しみなく種を蒔き続けます。
神もまた、私たちがどのような状態にあっても、御言葉という種を蒔き続けてくださいます。そして私たちの心を耕し、石を取り除き、茨を刈り取りながら、その種が実を結ぶことを忍耐強く待ってくださるのです。
蒔かれた種には力があります。み言葉そのものに、実を結ぶ神の力が込められているからです。だからこそ私たちにできることは、その力を信じ、み言葉に込められた神の思い、神の愛から離れることのないように、日々「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください」(主の祈り)と願い、祈り続けることです。神の助けがあるからこそ、私たちは石ころや茨のようなさまざまな誘惑の中にあっても、芽を伸ばすことができます。神が私たちの手をしっかり握ってくださっているからこそ、その御腕に委ねて生きることで、木が自然に生い茂るように、私たちにも実りがもたらされます。
今日の福音で見落としてはならないのは、私たちは種を受けると同時に、蒔くことも委ねられている、ということです。「私の口から出る私の言葉も空しく私のもとに戻ることはない。必ず、私の望むことをなし、私が託したことを成し遂げる。」(イザヤ書55:11)この力強い神の言葉を、私たちも覚えていたいと思います。主イエスがこの約束を信じて種を蒔き続けられたように、私たちもまた、神が必ず実りを与えてくださることを信じ、希望をもって種を蒔くために出かけてまいりましょう。