18:28 2018/10/15 東京聖テモテ教会 - 主日の福音

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★太田信三 司祭による主日の福音

★主日の福音(2025年11月16日)
(聖霊降臨後第23主日・特定28、C年)「背後にある神のご計画」(ルカによる福音書21:5-19)
 弟子たちを含め、人々は壮麗な神殿に目を奪われ、この神殿こそ神がとこしえに住まう場所だと思い込んでいました。しかし、神殿に見惚れる人々に、イエスはこの神殿が跡形もなく崩れ去ることを告げます。人々はイエスの言葉に驚き、「しるし」を求めます。その求めに対するイエスの応答は、「惑わされることがないように」という注意から始まるものでした。
 キリストを信じる者の特徴は「惑わされない」ことです。救い主を名乗るものが多く現れて惑わそうとも、戦争や争乱の噂が飛び交っても怯える必要はありません。なぜなら、「こういうことが起こるに決まっているから」です。それらは神の計画のうちなのです。イエスの目は、神殿の崩壊の背後にも神の計画を見ています。神の計画であれば、その計画の目的は、人類の救いにあるのですから、どのようなことが起きてもその先には救いが用意されています。それゆえ、惑わされることはないのです。
 今日の福音は、いずれ「恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる」終末についても語ります。しかしイエスは、「これらのことが起こる前に」という一文によって、終末に吸い寄せられた読者の目を、「今」へと引き戻します。来たるべき日に心奪われるのではなく、「今」に集中して生きることが大切だということです。
 この「今」とは、「わたしの名のために」迫害される「今」だとイエスは語ります。迫害という厳しい状況こそ、「証しの機会」となるのです。迫害と言われても、ピンとこないかもしれません。しかし、この世界が悪意や疑いに満ちているときこそ、その出来事の背後に神のご計画を見、希望を証しすることが、クリスチャンにとって大切な使命の場となる、ということです。しかも、その場所に立つ上での最良の準備は、「準備をしないこと」だと、イエスは言います。必要な言葉と知恵は神から与えられます。なぜなら、わたしたちの髪の毛一本すらなくなることを、神は望まれないからです。
 髪の毛一本すら愛おしみ、人を愛し抜かれる神の愛をいただき、自らも「今」を愛に生きようとすること、ただそれだけが「今」すべきことです。聖書が終末を語るのは、脅えさせるためではなく、神の計画が救いにあると知り、「今」に集中して生きることができるようにするためです。神の思いに信頼し、「今」、愛に生きるのか。それとも、神殿に象徴される目に見えることに右往左往するのか。まずは、今注がれている神の愛を全身に受けたいと願います。

★主日の福音(2025年11月23日)
(降臨節前主日・特定29、C年)「十字架に即位する王」(ルカによる福音書23:33-43)
 今日は教会暦の最後の主日です。この主日は「王なるキリストの主日」と言われます。「王なるキリスト」の主日は、1925年にローマ・カトリックにて定められたものです。1925年はヒットラー、ムッソリーニ、スターリンが独裁体制を固めていった時代です。そのような世の動きの中で、キリストこそがまことの王なのだ、と望み、今が世の終わりのように思えるかもしれないけれど、王であるキリストが再び来てくださる喜びの時こそが終わりの時なのだと、祝ったのです。今日の福音はまさに、まことの王、王なるキリストの姿が示されています。
 三つの十字架の真ん中は主イエス、両脇はいずれも死刑囚です。片方の囚人は「自分と我々を救ってみろ」とののしりつつも、救いを懇願します。しかし、十字架から降りられない男がメシアであるとは信じられず、結局はあざ笑い、冒涜します。
さて、もう片側の囚人は、「あなたの御国へ行かれるときには、わたしを思い出してください」と、言うなれば十字架上のイエスに信仰告白します。
 人々にしてみれば、無力にも十字架から降りてこないことこそ、イエスがメシアでも、ユダヤ人の王でもないことの証しに他なりません。しかしイエスは、十字架から降りないのです。なぜなら、王なるキリストは十字架に即位したからです。玉座ではなく、十字架に即位するとは、この世界でもっとも悲惨で、救いようのない現実を生きる人と共におられる王となるためでした。最低最悪の罪を犯した人間であっても、イエスは同じ罪人となり、その命を楽園へと招きます。すべての人の幸いを心底願い、もっとも苦しい人間をこそ、自らの命を差し出してまでも救うのが、王なるキリストです。これこそがまことの王なのです。
 私たちは、十字架上のイエスをどのように見つめているでしょうか。十字架から降りられないイエスを笑うのか。それとも、十字架から降りないからこそイエスはメシアであると信じるのか。わたしたちは、どう十字架を見つめているでしょうか。
 十字架上のイエスは、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです。」と祈りました。これは、私たちのための祈りに他ならないと感じます。分からぬうちに、神から、イエスから、愛から離れてしまう私たちです。しかし、このイエスの祈りによって自らの十字架への眼差しを省みつつ、あらためて「王なるキリスト」を崇め、新しい暦へと歩み出したいと願います。そして備えの時である降臨節、心耕され、まことの王のご降誕を心から喜ぶことができますように。

★主日の福音(履歴)

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