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差別について Page6
 移住(外国人)労働者問題は新しい差別問題であるわけですが、日本社会にある他の差別と深いつながりがあると思います。

 実は、私がフィリピンに1年行ったのは、日本社会の差別性というのにほとほと嫌気がさしまして、教会もそれから脱出することが出来ないという状況の中で、1回外から日本を見直してみたいという思いで1986年にフィリピンに行ったという経過なんですけれども。

 その日本社会の差別性というものの一番土台の所にあるのが、部落差別だと思います。
これは一番古いですし、根が深い、これが一番根底にあると思います。

 そして、その上に積もっているのが、アイヌ人差別だと思います。
これは数が非常に少ないので目に付かないんですけれども、私自身は、神学校を卒業して最初の任地が北海道岩見沢でありまして、北海道に10年いたんですけれども、その間にアイヌ民族の問題にほとんど関心を持たずに通っちゃったという、信じられないような無関心が私の中にありました。
今見ますと、北海道を侵略してアイヌ民族を同化させていった。
部落差別の上に乗っかっているのがアイヌ差別だと思います。

 その上に琉球の差別があります。
明治政府になるまでは独立国であった。
その前に島津 藩によって侵略されて、属国にされていたという経過がありますけれども、形態だけは独立を保っていた。
独自の文化を持っている、もちろん人種的には日本列島に住んでいる人々と血縁的には同じですけれども、国家としては別ですし、文化として別の文化、言葉も違った言葉を持っている。
そこを武力侵略していって、占領して同化してしまう。
同化させた上で、その人達を被差別の最下層に組み込んでいって差別をしていくということです。
侵略・同化・差別というこの三段跳びをずっとやってきてるわけですね。

 そのアイヌや琉球の上にやってきたことを更に重ねて、明治政府は台湾、朝鮮に持っていきました。
台湾で一旦成功して朝鮮に持っていったのですが、武力で占領して植民地にしてしまい、そして政治的に支配してしまう。
そこの人間の民族のアイデンテティを奪っていく、名前も日本の名前にしろ、言葉も日本の言葉にしろ、とアイデンテティを奪っていって日本人にさせてしまう。
しかし、日本人の下において、日本人より一等低いものとして差別していくという、この侵略・同化・差別という事を朝鮮半島でやったんですけれども、さらに、中国でもそれをやろうとして、大やけどをして敗戦ということになりました。

 朝鮮半島を手放しましたけれども、日本に住んでいる在日朝鮮人については同じ事が起きています。
そのまま残っているわけです。
戦後の外国人政策の間違いの根本はここにあるわけです。
朝鮮侵略、植民地支配の責任をきちんと処理しないで、したがって、日本に住んでいる在日朝鮮人韓国人の処遇というものを、ちゃんとするということに失敗したというか、全くちゃんとしようとしてこなかった。

 この人達を日本人にさせてしまうか、嫌なら帰れと、同化か排除かというこの二者択一を迫っていって、外国人として、日本にいる朝鮮人に対して徹底的に嫌がらせをしていく。
嫌がらせがの最たるものが、指紋押捺であったわけですね。
これは激しい抵抗にあって、とうとうこのあいだの国会で、長い長い間、絶対に必要でこれはやめられないと言い続けてきたものを廃止したという経過があります。

 戦後から、今日までの外国人政策の根本的な間違いは、朝鮮人の処遇にあったわけですね。
在日韓国・朝鮮人は外国人登録上は60万人弱ですけれども、いわゆる「帰化」して、日本国籍になっている人とか、日本人との結婚やその子供とか、何らかの形で、韓国・朝 鮮人のアイデンテティを持っている人たちを含めて、大まかに100万人といわれるわけです。

 こういう風に差別の層が重なっていて、この上に、新しい被差別層として移住外国人の層が積もりつつある。
これは全く新しい層であります。

 私が、なぜこういう構造になっていると考えるようになったかというと、移住外国人について、いったいこの人達は何でこんな差別を受けなきゃならないんだ、初めから在留資格も認められない、あなたはそこにいちゃいけない人間とずっと言われ続けながら、そこで仕事もし、そして税金も取られている生活がそこで起こってしまっている、この問題は何なんだ、どうして日本社会はこんなに排外的で、一人の人間がそこに生きているという厳粛な事実に対してそれを尊重しようとしないのかという事を考えていってみると、その奧に奧に、ずっとこういう差別の重層があるということです。
断層を切ってみるように日本社会の断面を切ってみますと、日本社会の差別の一番新しい層が移住労働者差別、これは表層で一番目立つ層ですけれども、ずっと掘っていって見ると在日韓国・朝鮮人差別、アイヌ民族差別、そして一番基層に部落差別。
こういう差別断層、地層が横から見られるように積もっていった差別の層を見分けることが出来るわけであります。
こういう風に差別の層をつもらせていったのが、先ほど言いましたように侵略・同化・差別という歴史の堆積であるわけです。

 私はそういう目でもって、部落差別をもう一回見直してみました。
部落差別はカースト差別の一種ですけれども、このカースト差別というのは、どうして起こってきたのだろうかということですね。
これは専門家の意見を聞かなければなりませんが、私はインドに行ってみて、インドのカースト差別と日本の部落差別の類似ってこれは何なんだということを考えました。

 フィリピンにはこういう差別はないんです。
だからアジア共通の差別とは言えないんです。
フィリピンにはこれがない。
地層をどんなに深く掘ってもそういうものはない。
しかし日本とインド、朝鮮半島もそうなんですが。
掘っていくとこれが見つかるんです。
何なんだと言うことですね。

 今、私はこういう風に理解しております。
武力に勝るどう猛な少数の侵略者が侵入していって、大多数の人々を支配下に治める。
少数侵略者が大多数の被侵略民を支配していく 際に、自分たちは支配する資格があるんだということをみんなに信じさせるために自分たちは人種的に「貴種」なんだという風に言う。
これはインドに侵略したアーリヤ人が、自 分たちをバラモンという風に言って自分たちは貴種なんだと言った。
あなた方は人種的に低いんだから私達に従えと言っている。
しかしこういう構造を安定させるためには、「貴」の対極に「賤」がないと安定しませんから、「貴人」がいるとすれば対極に「賤民」がいるという風にアウトカーストを作っていくということですね。
つまり少数侵略者が多数被侵略民を支配していくときに、自分たちを「貴種」として位置付けている、そうして社会を階層的に作っていく時に一番大事なのは、反対側に「賤民」層というアウトカーストを作っていくことです。
それはおそらくインドのカースト差別の根元だろう。
それがヒンズー教の中にずっと宗教的に体系化されて強力な文化にされていって、それが今も動かないということですね。

 それと比べてみますと、日本の部落差別というのはまさに同じ事が起こっている。
たぶんアジア大陸の一角から始まった一部の侵略者達が「天子降臨」、つまり天の神様の子供が地に降りてくるという、私達は天孫降臨というのを教わったのですが、あれは原型は「天子降臨」だろうと言われます。

天の神様の子供が地上に降りてきてそこに国を作るというのは、どこか外から侵略者が来てそこを侵略するということなんですね。
見事に侵略性を表している神話だと思うんですけれども、そういう人たちが、その天子降臨神話と、それから祓い清め思想、「浄不浄」の思想を持ってきて、「貴種」の一番上に「天皇」という存在を疎外する。
その反対に「賤民層」というものが疎外されていった。
ここから階級制度ができて、賤民層が、その後色々形が変わってきますけれども、江戸時代の徳川幕府の元で「部落」というものに固定されて今日の部落差別の基になった。

 これは一番古い層ですから、時代がだいぶ違うんですけれども、やはり侵略・同化・差別が根元のところにあるんではないか。
その上に、近代になって他の国々、周辺の人々と 接触を始めたときにこの考え方でどんどん侵略を進めていった。
しかし、今度はこちらが多数者だったから相手側を全部こちらにとり込んでしまって、そこの人間を日本人にさせて、言葉も、アイデンテティも、文化も全部奪った上で、しかし被差別者とするというやり方をしてきたということです。

 こういう差別の根本構造があって、それに縦軸に貫いている差別がいくつかあると思う んですが、一番代表的なものとして、女性差別と障碍者差別が、今一番目につくものとして縦軸に貫いているだろう。
どの層を取ってみても女性は差別されている。
障碍者も差別 されている。
場合によっては、障碍者をどの被差別層の人達よりも、もっと差別するという形でここに縦軸にする。

 こんな風に日本社会の差別構造、差別性という物を構造としてとらえ直してみますと、移住外国人の差別というものが、こういう土台の上に立って新しい層として積み重なりつつあるものだ。
だからこの問題だけで解決するのではなくて、この日本社会の差別性というものが根本的に変わっていかないと実はこの差別はなくならない。

 しかし逆に言うと、この最先端で今起こっていることですから、見ればわかる、こんな酷いこともあるよと、今日もちょっとその例をお話ししますし、佐々木さんもその例をたくさんお持ちだと思います。
相談という形でどんどん入ってきますから、一番酷い状態で、これいくら何でも酷いんじゃないのという形で顕在化します。
他の差別の方は陰湿に隠されていますから、差別なんかしてないよという形で差別されているということがありますが、こちらはかくすどころか、あからさまに大っぴらに、一番酷い大っぴらはですね、日本では警察が先頭に立って外国人の差別宣伝をやっています。
人種差別撤廃条約で、一回外からたたかないと駄目かなという風に思っているんですけれども、そういうことが最先端で行われているということですね。

 実は運動もこういう事をしっかりと、認識してきております。
このあいだ九月初めに、長野で開かれた部落解放同盟の全国研修に、一万三千人集まったというのは凄いですね。
やっぱり向こうは運動として凄い。
そういう研究会のひとつの分科会に、レポーターとして呼んでいただきまして行って来ました。
まだちゃんと確立した分科会じゃなくて、分科会になる準備みたいな分科会なんですけれども、でも、そういう形でこの部落解放運動の 中に移住労働者問題がはっきりと位置づけられてきているということですね。
それはとても大事なことだと思っています。

 そんなわけで、日本社会の差別性というのは、あれこれの差別があちこちにパラパラあるんではなくて、実は一つの同じ構造でつながっている、だから、一つの問題と取り組むということは他と必ずつながってくるものだということを理解しながら、そういう視野で私は当面、この事に重点を置いていく、そんな風にして今私は取り組んでいるわけであり ます。
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