竹田教区主教就任から退任まで[略年表]

一九九四年〜二〇〇一年

一九九四年
1月2日
教区新年礼拝、浅草聖ヨハネ教会で。
3月21日
教区会(第78定期)。継続審議となっていた「教区機構改革」議案が可決。実務機関となる宣教委員会の新設、専任宣教主事の選任、新宣教体制づくりなどの課題取組みへ移行。
4月
選任宣教主事に岡野峻氏が就任。
5月
日本聖公会総会(第46定期)で八代崇主教(北関東)が首座主教に着座。「女性の司祭按手」議案は継続審議へ。
6月
聖公会・ローマカトリック教会と合同祈祷会(第二回・麹町教会)。
教区会館の外装改修工事終了。
7月
機構改革に伴う宣教委員による第一回委員会開催。教会グループ推薦委員六人、主教指名委員六人、職務上の委員二人の計一四人(内女性四人)。教会グループ協議会の活動も次第に活発化。
 MRIメリーランド小委員会から小冊子『メリーランドとの協働―驚きと学びのうちに』…協働を総括した報告書を刊行。
9月23日
教区フェスティバル、立教女学院で。
11月
常設委員会のもとで活動していた諸活動がプロジェクトチーム化されて、各チームリーダーと宣教委員会との合同会議を開催。
12月
宣教委員会制作(協力・広報委員会)による小冊子『奉仕職を考えるシリーズ・I』が発行された。
一九九五年
1月6日〜
主教、太平洋神学校で講義を行うため出張。(〜2月3日)
1月17日
阪神・淡路大震災発生。救援活動・募金活動など教区・教会レベルで開始される。
3月21日
教区会(第79定期)。「福音伝道十年」の中間年に当り、機構改革後では初の教区会で、重要議案が多くあった。「阪神大震災二億円奉献」決議もその一つで、同地の復興計画を支援する教区プロジェクトも設置へと始動した。
遠山隆夫司祭、定年退職。
4月
『教区時報』編集作業室が、コンピューター機材の導入を得て、管区事務所から教区会館二階へ移転。
5月
MD教区主教選挙でR・W・イーロフ司祭が選出された。(10月、竹田主教らが就任式に参列)
8月〜10月
戦後五十年を記念して「和解と平和」キャンペーン。
韓国ソウル教区で次期教区主教にチョン・チョルボム司祭を選出した。
9月23日
教区フェスティバル、立教女学院で。
11月
教区宣教方針の成文化へ向けて話し合う拡大宣教会議を開催。
鈴木勉司祭逝去(17日・63歳)。
一九九六年
1月7日
教区新年礼拝、聖パウロ教会で。
宣教委・常置委・プロジェクト合同会議(14・15日、日野ラ・サール研究所で)。
2月
拡大宣教委員会で「宣教方針」成案へ向けた意見交換。
3月
教区会(第80定期)で「教区宣教方針」が採択され、小冊子、はがき判、特別号などで配布された。
大野俊朗・島田忠雄・西村哲郎・堀江清(休職)の四司祭が定年退職。
8月
四年振りに全国青年大会が被災地神戸・六甲で。
教財務サービス委員会による「パソコン利用者の集い」が開かれた。
9月
MD教区から女性の三聖職・二信徒を迎え教区フェスティバル(23日・『ひろがれ、わたしたち」)ではゲスト参加。また来訪されたドミニコ会管区長、修道院長も臨席。
11月24日
第81(臨時)教区会=神田。高齢者施設 建築申請を東京都へ提出する案(聖救主教会・福祉会関連)を可決。
一九九七年
1月11日
教区新年礼拝、主教座聖堂で。
3月20日
第81(定期)教区会。主教開会演説では「一教会一牧師の司牧体制に対する再検討、対策の必要性」を強調。
5月16日〜19日
「ソウル・東京21世紀宣教大会」が韓国京畿道楊平で開催され、主教のほか司祭・信徒二七人が参加。
6月
MD教区からイーロフ教区主教らが来京。今後の協働関係を協議。
8月
下町教会グループで初めての合同礼拝を施行。
9月23日
教区フェスティバル(立教女学院)で「持ち寄りと分かち合いの食卓」と「教区劇団?」が初登場。旗揚げ公演?では教区主教も熱演。呼び掛けテーマ「みーんな家族〜分かちあおうイエスさまの食卓から」
11月
拡大委員会を開き、教区の司牧体制につき意見交換、「宣教の協働、パートナーシップの構築、その取り組み方」などを話し合う。
一九九八年
1月24日
教区会開催(第83臨時)。深川合築計画(高齢者福祉施設建築計画)案が採択された。
3月21日
第84(定期)教区会。
今井烝治・高畠靖・澤邦介司祭が定年退職。
4月
東京教区ホームページが開設。公開された。
5月
日本聖公会第51(定期)総会が聖アンデレ教会ホールで開かれ、竹田主教が第一五代首座主教に選出されて着座。また「女性の司祭按手」案件が可決された。
6月
拡大宣教委員会で総会報告会。
7月・8月
ランベス会議へ竹田主教出席。「一つになる呼びかけ」が中心テーマ。8月6日の聖餐式は日本主教会が司式した「広島デー」。
9月23日
教区フェスティバル(香蘭女学校)。『与かろう!イエスのいのち〜老いも若きも〜』。午後のイベントでは音楽グループ「エルピス」をバックに竹田主教が「十字架の愛」を熱唱する一こまも。
10月
MD教区へ聖職・信徒の訪問団出発。学びと交流の旅…。
新設管区となった香港聖公会の記念式典へ竹田主教臨席。
11月21日
二十年ぶりとなる「秋の教区会」(第85臨時・教区会)。次年度の活動計画や財政予算を中心に審議。
九州教区教区会で行われた主教選挙で東京教区五十嵐正司司祭が選出された。
11月27日
山野繁子・笹森田鶴両執事を司祭に叙任する旨の按手式が公示された。
12月12日
中部教区で日本聖公会初の女性司祭・渋川良子師が誕生。竹田主教が説教者に。
一九九九年
1月6日(顕現日)
公示通り東京教区初の女性司祭二師が誕生。司式者竹田主教、説教者塚田理司祭をはじめMD教区イーロフ主教、ソウル教区関係者、五十嵐被選主教…当日、五百人あまりの人が臨証、祝福した。
2月 
「二〇〇〇年懇談会」が宣教委員会主催で開かれ、二一世紀への宣教課題を整理するキャンペーンを開始。
3月22日
第86(定期)教区会。
4月
高齢者施設「深川愛の園」が竣工式を終えて開園。
6月
フィリピン独立教会首座主教就任式に臨席するため渡比。
9月23日
教区フェスティバル(立教小学校)。テーマは『想い起こそう主の 呼びかけに応えて』。説教者にイ・デヨン釜山教区主教。
11月20日
第87(臨時)教区会開催。二千年記念、超教派行事「東京大聖書展」共働プロジェクトチームを新設。チームミニストリー(チーム牧会制)の検討、教会や教会グループからのプロジェクト提案、教区宣教体制の再構築などの課題が論議されるようになった。
二〇〇〇年
1月8日
キリスト降誕二千年を迎えた年頭、教区新年礼拝。竹田主教は「平和」「小さい者」「恵みを証しする者」を強調。
3月20日
第88(定期)教区会。教区費分担金算出方法の改定(二〇〇一年度から実施)が可決。また次期教区主教を選ぶ「主教選挙をおぼえて祈る」件も決議された。
佐藤信康・塚田理・米村路三司祭が定年退職。
4月10日
聖公会神学院校長に関正勝司祭が就任。
5月23日〜
日本聖公会第52(定期)総会。退任される竹田首座主教に替り、古本純一郎主教(神戸)が選出され、25日に着座式が。
6月8日
聖公会/カトリック合同祈祷会(第三回)が聖イグナチオ教会で開かれ共通訳「主の祈り」が用いられた。
7月15日
臨時(第89)教区会で次期教区主教の選挙が行われたが、当選者を得ることができなかった。
9月23日
教区フェスティバルが立教小学校で。テーマフレーズは「この恵みをしっかりおぼえて」。
11月
キリスト降誕二〇〇〇「東京大聖書展」が東京オペラシティで開催された。竹田主教は同展実行委員会名誉委員として、また関連行事「プレセミナー」(計四回)は聖公会の教区共働プロジェクトを窓口に、それぞれ参加、担当した。
11月23日
臨時(第90)教区会で二回目の主教選挙が行われ、植田仁太郎司祭(アジア学院校長・出向)が後任主教に選出された。
12月9日
第91臨時教区会。次年度の活動方針、予算案などを審議。
12月26日〜
新千年期へ向けての九日間の礼拝「ミレニアム・ノヴェナ」が主教座聖堂その他でささげられた。
二〇〇一年
1月6日
顕現日ノヴェナ第九日の最終礼拝(教区新年礼拝)で、竹田主教は植田被選主教を紹介。
3月20日
第92(定期)教区会、竹田主教は最後の議長席に。
3月31日
植田被選主教が第八代教区主教に就任(立教女学院聖マリア礼拝堂)。竹田主教は牧杖を授与して新主教を主教座に。
6月15日
竹田主教誕生日に退任された同師父に感謝する集いを開催(教区主催・聖アンデレホール)。

 <目次>