戦争と平和・人権

投稿者:呉光現(聖公会生野センター 総主事)

【ウクライナ事態に思う】

聖公会生野センターの30周年を迎える今年は「ウクライナ侵略戦争」から始まった。

朝から夜までニュース番組、情報番組(ワイドショー)は連日「ウクライナ情勢」を大きく取り扱っている。繰り返し繰り返し報道されることで私たちはいつの間にかウクライナのことが頭から離れない。

私の住む日本では困難にあるウクライナ市民への援助、支援は官民ともに大きなうねりとなっている。

外国人の入国、居住に非常に厳しい日本政府がここまで人道的に動くのを見ると「日本政府も捨てたものではないなぁ」と率直に思う日々だ。政府専用機で20人のウクライナ市民が日本に入国した。普段ではありえない行動もその気になればできることを証明した。そこには日本政府が今まで言ってきた「前例がありません」ではなく積極的に「人道的には異例のこと」ができるのを政府自らが示したのだ。

【母国に帰れない人々】

 昨年、名古屋入管でスリランカ人のウィシュマさんが亡くなり大きなニュースになった。非人道的な扱いを受け続けて命が奪われたのだ。この時もマスコミは大きく報道して「入管法改定」は見送られた。

 入管行政のルーツは戦前、植民地下の朝鮮人の日本渡航制限にあり、戦後は在日韓国朝鮮人への処遇がその大きな柱であった。その後、ベトナム戦争終了後ベトナムからの難民が多数日本に押し寄せてきた。この時日本は難民条約を批准し(1982年)、又80年代に入り多くの外国人、特にアジアからの人が日本に来るようになった。それから、母国を離れざるを得なかった人々がアジアから、アフリカから日本にやってくる。

現在、埼玉県のある都市では「国家を持たない最大の民族」と言われるクルドの人々が多数居住している。彼らの居住地域はトルコ、シリア、イラク、イランと跨りそのすべての国家から迫害を受けている。帰るところがない。しかし日本政府はこの人たちに冷たい。入管に収容されるか「仮放免」で貧困にあえいで暮らすしかない。仮放免中は仕事もできず、医療保険もない。民間の支援団体が何とかサポートしている状況だ。

 ここ10数年、毎年入管の中で亡くなる人が絶えない。抗議のハンガーストライキで命を落とした人までいる。この人たちもかけがえのない命を持つ人々だ。

 昨年、生野区のカトリックの施設に難民認定中の人たちのシェルターが開設された。そこでは不安定な生活ながらも地域で生きることを目指す人たちがいる。聖公会生野センターの隣人にその人たちが共に暮らしているのはとても大切なことだ。

ウィシュマさんの遺影と共に抗議する家族と日本市民

【日本国憲法を誇りにし、積極的に異例の措置を】

 ウクライナ市民への官民挙げての「優しさ」をすべての外国人に示してほしい。やればできる「異例の人道支援」を困難にある外国人に広く適応してほしい。

日本国憲法前文には「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

今こそ、崇高な日本国憲法の精神に戻りたい

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