2014年4月20日  復活日               主教 ステパノ 高地 敬
 
人を大切にできる

 「はしってもあるいても、ちきゅうのスピードはおなじです。あせってものんびりでも、ちゃんとあしたはくるんです」と毎朝歌っている教育テレビの番組のすぐあとに、3月までは子ども向けの英語の番組が続いていました。その中で歌われる曲に、たぶん英語のことわざなのだと思いますが、「忙しい蜂は蜂蜜をたくさん作る。早起きの鳥は虫をたくさん捕まえる(直訳)」という歌詞の歌があって、英語の練習ですから、何度も何度も繰り返しこの言葉が出てきます。苦手な英語が余計に苦痛に感じました。今の時代に早起きとか勤勉を強調するのは、とても珍しいこと

のように感じるのです。毎朝この組み合わせでテレビから流れる歌を聴いていて、このテレビ局には、番組ごとに編集方針があっても、全体を貫く方針はないのではないだろうかとも想像しておりました。
 落ち着いていることと勤勉であることとは別のテーマだから、違和感を感じる方がおかしいと言われるかも知れませんが、「あせらないでのんびりと」ということと「早く起きて忙しく働く」ということとは価値観が全然違います。どちらの価値観の方がいいというのではないのですが、自分があわただしく過ごしていると、本当はもっとゆっくりしたいという気持ちがありますので、「早起きして忙しく働いて頑張ろう」ということを受け付けなくなっているのだと思います。逆に「あせらないでのんびりと」を受け付けられない人も多いでしょう。人の価値観を十分に尊重することが、私たちにはいつも難しいようです。つまり、人を大切にできない。
 イエス様の十字架の時、弟子たちはみんな逃げてしまいました。十字架に架けられるなど、犯罪者と同じではないか。お墓が空であったり、天使に呼びかけられたりして、婦人たちはそのことを弟子たちに何も伝えませんでした。「恐ろしかったからである」自分たちが3年の間行動を共にしてきたリーダーが捕えられ、死刑になる。お墓から遺体がなくなっている。思ってもみない事態に声も出ませんでした。言い換えれば、一所懸命がんばってきた弟子たちや婦人たちにとって、イエス様の最後の一連の出来事は全く意味のない、見たくもない、価値のないものでありました。逮捕されることも死刑になることも、姿がなくなってしまうことも受け付けられなくて、「なぜ、もっと頑張らなかったのですか」とイエス様に聞きたかったのではないでしょうか。
 そんな弟子たちにイエス様はもう一度現れて、「あなたがたに平和があるように」と言われます。自分の持っている価値観以外のものを認めることがとても難しい弟子たちに、「そんなあなた方に平和があるように。人の大切にしているものを尊重できない、人を大切にできないあなた方に平和があるように。こんな価値観もあるということを私が身をもって示したのだから。」
神様は私たちが想像もしなかった価値観を示され、それを通して私たちをも受け入れてくださっておりました。人を認めることが「恐ろしくて」できない私たちに、「あなたも他の人の価値観を大切にできるよ。人を大切にできるよ」と、復活されたイエス様が、繰り返し呼びかけておられます。