2025年2月9日 顕現後第5主日(C年)

 

司祭 ルカ 柳原健之

 多くの人々が神の言葉を聞こうとしてイエスのもとに押し寄せてきました。イエスはこの後一番弟子となるシモンの舟に乗り込み、その上から人々に教えを語られます。シモンの舟ですから、彼はイエスのすぐ側でその教えを聞いていたことでしょう。語り終えるとイエスは沖へ出て漁をしなさいとシモンに言われます。ただ、彼らは夜通し漁を行い、何も捕れなかった後でした。シモンたちも漁師ですから、一晩中ポイントを変えながら働いたことでしょう。その上で何も捕れなかったのですから、イエスから漁をしなさいと言われても、無駄骨であると思いつつ、半信半疑のままイエスの言葉通り、漁をしたのではないでしょうか。
 ただ、シモンの予想とは裏腹に2艘の舟が沈みそうになるほどの魚を捕ることが出来たのです。この結果に彼はイエスにひれ伏します。奇跡の出来事を目の前で見たからです。そして自分が「罪深い人間」であることを告白します。彼はこの後もイエスのことを捉えきれずに愚かさを繰り替えてしていきますが、神の言葉をすぐ側で聴きながらも信じることが出来ず、奇跡の業を見ることによって初めて信じることが出来たのです。  
 ひれ伏すシモンに、イエスは「恐れることはない。」と言葉をかけられます。彼の愚かさを赦されるイエスの姿があります。そして、「人間をとる漁師」とされていきます。彼はすべてを捨ててイエスの後に従って行くのです。

 ここに登場するシモンの姿は、私たちそのものかもしれません。イエスの言葉を聞きながらも信じることが出来ず、教えを聞きながらも実践することが出来ない、罪深い人間の姿があります。シモンが幾度となく愚かさを呈しながらも、イエスと共にあり、用いられていきました。私たちに対してもイエスは、「恐れれることはない」と常々語りかけてくださって、そのような私たちを受け入れてくださり、「あなたも人間をとる漁師に」と招き、用いようとしてくださっているのではないでしょうか。愛に溢れた呼びかけに従っていきたいと思います。