2016年3月27日  復活日               主教 ステパノ 高地 敬
 
何かが始まる

 テレビの中で「春夏秋冬」を歌っている泉谷しげるの数年前の姿をぼーっと見ながら、今も昔もどんな気持ちでこの歌を歌っているんだろうと考えておりました。

  「季節のない街に生まれ
   風のない丘に育ち
   夢のない家を出て
   愛のない人にあう」

 私も若いころ下手なギターを弾きながら、この歌を歌うというより叫んでおりました。叫びながら、こんな世の中、いいことがたくさんあるわけでもないし、好きでもなんでもないと、気持ちをはき出していたのだろうと思います。はき出してほんの少しすっきりして、次の日を何となく生きていく。そんなことの繰り返しだったのだと思います。

  「人のためによかれと思い
   西から東へかけずりまわる
   やっとみつけたやさしさは
   いともたやすくしなびた」
 人を信じて孤軍奮闘したのに裏切られてしまったような経験は、多かれ少なかれ誰にでもあるのだと思います。そのため、人に期待しないこと、いい結果も期待しないことを学ぶようになるのでしょう。そして、世界がそんなに単純にはできていないことも学ぶのでしょう。

  「春をながめる余裕もなく
   夏をのりきる力もなく
   秋の枯葉に身をつつみ
   冬に骨身をさらけだす」
 一年中つらい毎日が続いて、自分の小ささや哀れさを感じて一層しんどくなります。たまにいいことがあっても、ホッとする間もなく季節が移ってしまいます。でも、こんなことばかりでこれからもやっていけるのでしょうか。
 次はささやくような声で彼は歌います。
  「今日ですべてが終わるさ」
 こんなことがいつまでも続くわけがない。必ず終わりがある。そう思わないとやっていけないじゃないですか。今日で終わる。多分終わる。終わってほしい。
 歌う声がだんだん大きくなってきます。
  「今日ですべてが変わる」
 世界も社会も変化し続けています。いい方向へ変わらなければなりません。でも、いい方向って何でしょうか。ひょっとすると、誰にとってもよくない方向こそが、いい方向なのではないでしょうか。つまり、自分自身が変わること。


  「今日ですべてがむくわれる」
 誰かが自分に思いのたけを語ってくれて、これまでのことを自分なりに納得する日が来るかも知れません。間違いだらけだったけれど、とにかくよくやって来たと自分に言う時が来るかも知れません。

  「今日ですべてが始まるさ」
 これからは今までと全く違う楽な暮らしが始まればいいのですが、多分これからもしんどいことが次々に起こるでしょう。でも、きっと何かが違う。気が付けば自分もほんの少し変わり、周りも少し変わっている。だから同じように辛くても、もう少しやっていけそうだ。

  「神が彼らの目から涙をことごとく拭われるからである。」