2020年12月25日  降誕日          主教 ステパノ 高地 敬
 
クリスマスですがご都合は?

  神様は世界を良いものとしてお造りになりました。「神は見て良しとされた」、「神は、造ったすべてのものを御覧になった。それは極めて良かった。」世界は良かったはずなのに、人間がそれを壊してしまいました。ただ、世界が良かったのは私たち人間にとってではなく、神様にとってでありました。
 世界は自分にとって本来的に良いと考えるのは自然なことだと思いますが、そう考えれば考えるほど、自分に都合の良くないものはすべて「悪」だということになってしまいます。

 前に人がいるのに、その人を無視すると、自分にとってその人は存在しなくなります。同じように自分にとって都合の良くないものを見ないようにすると、それは存在しなくなります。つまり、自分にとって都合の良くないものは悪であるか存在しないかのどちらかになり、あるがままの世界を受け入れられなくなるのだと思います。
 世界は自分にとって都合の良くないもので満ちていると考えると気が重くなりますが、世界にいろんなものがいっぱいあるからこそ、私たちは日々刺激を受け、都合の良いことにも良くないことにも対応していきます。
 「不意の変容が人生の中でいくつも起こる。ぼくらの期待やぼくら自身の資格を上回る仕方で起こる。」
 感染症の一年でありました。不安や苦しみのないようにと願い、私たちは様々な課題に向き合います。「多くの国では、新型コロナ感染症は、多くの疫病の内の一つにすぎません。その疫病には、紛争、残虐、汚職、環境破壊、自然災害などが含まれます。」(「2020年11月首座主教会議コミュニケ」)
 私たちは、世界には様々な課題や自分にとって不都合なことがたくさんあることを認めなければなりません。コロナは悪だというのは自然な感情だと思います。ただ、世界は細菌やウイルスによってもある種の安定が保たれ、生物も進化して来たのだと思います。
 世界には不都合なものがたくさんあります。神様と私たちの関係は良くないし、苦しいこと、悲しいこともたくさんあるし、だからこそ、そんな世界だからこそ、み子が来て苦しみを負ってくださって、世界の本来のすばらしさが垣間見えるようになりました。
 「世界の神聖な美がまばゆいばかりに立ち現れる。それが起こるのには二つのきっかけがある。しかも両者は絡み合っている。ひとつは世界にとってぼくら自身がはかなく、つまらない存在だと思うとき、もうひとつは世界を無常な無価値なものと思うときだ。」
(太字の引用は、マリリン・ロビンソン『ギレアド』から)