はずかしがりやのらくだ                    主教 ステパノ 高地 敬

  きのう道を歩いていたら、ある家のタテ型の郵便受けの中から人がこちらを見ていました。「ぎゃっ。」怖かったのですが良く見たら、多分カタログ販売の雑誌が二つ折りにして入っていて、その表紙の写真の人の目が、まるでホラー映画のようにこちらを見ているのでした。
 そう言えば以前、道ばたに非行防止か何かの立て看板があって、「けいさつの目が光っているぞ、あちこちで」と書いてありました。いつもどこかであなたは見られている。郵便受けの中からも、道ばたの立て看板の裏からも、と考えるだけでぞっとします。
 だれかに監視されていたら悪いことができないばかりか、いいことも何にもできなくなってしまうでしょう。「お願いですからもう赦してください。こっちを見ないでください」という気持ちになってしまいます。
 ただ、同じようなことが教会の幼稚園や日曜学校でも言われていないでしょうか。「神さま、見てるよ(だから良い子になりましょう)」と言われているのだとしたら、神さまはただひたすら恐怖でしかありません。神さまは私たちを監視しておられるのではなくて、やさしく見守ってくださっているはずです。
 恥ずかしいのですが、私自身、神さまは監視する方だと20代後半まで思い込んでいました。幼稚園でも日曜学校でも、神さまが監視してるとはだれも私に教えなかったはずなのですが、監視していないと教えられた記憶もありませんし、気が付いたら神さまは怖い存在になっていました。ですから、ぜひ今の子どもたちには神さまのあたたかな目について伝えたいのです。
 あなたは子どもたちに「監視」と言っていませんか?郵便受けの中から見てますよ。


(教区主教)