らくだのえさ                 主教 ステパノ 高地 敬

 

 前にも書いたのですが、昼ごはんを力いっぱい食べた後、「夜、何が食べたい?」と相方が今でもよく聞きます。おなかいっぱいで何も食べたくないので、あいかわらず「考えられへん」と答えると、「それくらい考えられへんで、はっきり言うて器が小さいんやね」と、全然進歩のない会話をしています。
 これも前に書きましたが、おなかがすいている時でも、「何食べたい」と聞かれて、「さぁ」と言うことが多いですから、もともと、食べ物のことをあまり考えていないのだと思います。相方にそう言ったら、今度は、「三度三度、ちゃんとご飯のこと心配してるやんか」と言われてしまいました。
 そもそも、おかずを考えている人の気持ちを分かってあげる気がないのが悪いようです。自分は考えたくなくても、毎回悩んでいる人と一緒に悩み、一緒に考えることができればとは思うのですが。
 特に、おなかがいっぱいの時は、おなかがすいている時のことを思い浮かべられません。お金がたくさんある人は、お金がない人の気持ちが分かりません。元気な人は、落ち込んでいる人のことが分かりません。幸せな人は、不幸せな人の気持ちが分かりません。
 イエス様、あなたは食べ物に悩まなかったようですが、ご飯を食べた後、どうでしたか?おなかがいっぱいの時も、おなかが減っている人の気持ちが分かりましたか?えっ、おなかがいっぱいにならないようにしていたのですか?
 イエス様の声がどこかから聞こえてきそうです。「あんたに人の気持ちを分かれとは言わん。けど、それでも神様のお恵みがいっぱいあったら、人の気持ちに付き合うことだけでもできるんやなかったか?お祈りして、そんなお恵みをたくさんもらいなさい。」


(教区主教)