ほこり高いらくだ               主教 ステパノ 高地 敬

 

 うちの二階はほとんど荷物置き場になっていて、いつの間にか私が掃除の担当になっています。二階に上る度に「そろそろ掃除しなくては」と思うのですが、一週間に一回できればいい方で、三週間くらい空くことがほとんどです。まめに掃除する元気もないし、掃除をしていないとやっぱり汚いし、もし毎日掃除したら、少しの汚れでも気になって、それも厄介なことです。
 近所に小さな3階建ての精密機器を扱っている会社があります。毎朝8時半過ぎに当番と思われる社員が外回りを掃除しています。植え込みの葉っぱが一枚も落ちていないくらいきれいなコンクリートの面をさらに懸命に掃いています。大きな窓ガラスもしばしばきれいに磨いています。
 イエス様のお話に、「汚れた霊が人から出て行って、休む場所がないから元のうちに戻ってきたら、空き家になっていて掃除されていた。それでもっと悪い七つの霊をつれてきたので、前よりも悪い状態になった(マタイ12:43)」というのがあります。
 自分ではきれいになった、汚れが無くなった、自分は正しいと思っていると、前よりもっと悪くなりますよ、ということでしょうか。あんまりきれいにすると、それを基準に物事を見てしまうから、かえって良くないのでしょう。
 テレビの必殺シリーズの中村主水役の藤田まことが、「完璧な演技ができたと思ったことがあるか」と聞かれて、「そんなこと思ったことがないから、ずっとやれてるんだ」と言ったんだそうです。
 掃除というものは、きれいすぎても汚すぎても良くないようです。私がたまに二階を掃除してスペースができると、相方が喜んで荷物を増やしていますから。

(教区主教)