らくだのコルセット               主教 ステパノ 高地 敬

 

 このところ、私の周りに腰痛の人がとても多いようです。二十年ほど前、あるお宅を訪問したら、「家内がぎっくり腰で」と、玄関の横の部屋の戸を開けられると、布団にうつぶせのお連れ合いがこちらを見て笑っておられました。私はその頃まだぎっくり腰になったことがなかったので、どんなに痛いか分かりませんでした。
 そのうち私も一人前にぎっくり腰を起すようになって、その痛さが身にしみました。しゃがみこんで作業をしたり、十分に体勢を整えないで前屈みになったりすると、軽くギクッと来て、じわじわ痛みが増してきて、次の朝には起き上がれないことになります。何とか起き上がっても、靴下がはけなかったり、「だれや、トイレのふた、閉めたんは」ということになります。
 ずいぶん前に接骨院に行った時、順番を待っているだけでもう立ち上がれなくなり、何とか助けてもらって診察台に行くと、先生が私の腰を左右にグギッ、グギッといわせるので、「ギャー」と叫んだら、お年寄りの患者さんたちににたにた笑われました。
 何かの部品のように腰を取り替えられたらいいのですが、私にはこの腰しかないし、これからも腰痛に付き合っていくのだと思います。そう言えば、地面に何か書いておられたイエス様、その姿勢が一番良くないと思いますよ。「いや、イエス様はまだ30過ぎで若かった」って?いーえ、歳には関係ありません。
 けれど、イエス様はもっとすごい痛みを、取り替えなしでそのまま受けられました。その時には釘の痛みより、人々に裏切られていく心の痛みのほうが大きかったのではないでしょうか。このイエス様の痛みで、わたしたちの痛みは、これでもすごく小さくなっておりました。 (教区主教)