覚めてもらくだ           主教 ステパノ 高地 敬

 

 私は車を運転して出かけると好きな時に目をつむれないので、多くが電車などでの移動になっています。電車に乗って座ることができたら本も少しは読むのですが、すぐに目をつむりたくなって、目をつむるとすぐに意識が遠のいていきます。
 再び目を開けると、自分が首をうつむけにして眠っていたことに気づきます。周りで意識を失っている人たちも多くはうつむいていて、中には首をあお向けにして、しかも口が少しあいている人もいます。まれにお隣の人の肩を借りようとしている人も見かけますが、たいていとても嫌がられています。
 前に近鉄に乗っていて、大和八木で乗り換えなのですが、ふと目を開けると前方に大都会が見えました。「八木ってあんなに都会だったっけ?」と一瞬思いましたが、すぐに気が付きました。「大阪まで来てしまった!」予定より長く目をつむっていられたはずなのですが、乗り越した時はすごく後悔します。居眠りのために乗換えという軌道修正の絶好の機会を逃し、大阪まで大回りすることになりました。大事な時に前後不覚に眠ってしまう自分を情けなく思います。
 イエス様の弟子たちは、眠っているのを注意されたのにイエス様が三度目にご覧になっても、「あなた方はまだ眠っている。休んでいる」というありさまでした。イエス様にとって本当に大事な夜に眠ってしまって、「共に目を覚ましていなさい」というイエス様の願いに応えられませんでした。
 私も、こんな情けないことを繰り返しながらこれからも生きていくのだと思います。そのたびにイエス様が、「私は道である。居眠りも寄り道もいい加減にしなさい」と声をかけてくださいますように。そして、少しでもその声に応えることができますように。

(教区主教)