らくだもこわい       主教 ステパノ 高地 敬

 

 韓流ドラマを見ていた相方が、「わこうて何?」とききました。「歴史ドラマか?」「そうや、なんかわこうて言うてる。」「なんか要らんもんが攻めて来る、その攻めて来るもんが『寇(こう)』で、元寇は元が攻めて来る、倭寇は日本が攻めて来るていうことやろ?」「いらんもんが攻めて来るんやったら『せんこう』とか『わんこう』もそうやなぁ。」「(うーん、なんか違うような気もするけど)まぁそんなもんかも知れんなぁ」で話が終わりました。ただ、先生や犬はもともと人を攻めるつもりがないのだと思いますので、先生や犬には失礼な話をしてしまい、申し訳ありませんでした。
 「いらんもんが攻めて来る」ことについてはたくさん思い浮かびます。自然災害、人災、事故、病気、足がたくさんある虫などのこわい動物、足のない動物、にがてなタイプの人、「今度の日曜、朝から遊びに行かへんか?」というお誘い。まだまだたくさんあると思います。それで何にも攻めて来ないように、「私たちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください」とお祈りするのですが、攻めて来るものには毎日事欠きません。
 でも、誘惑とか悪というのはどんなものだったでしょうか。イエス様は、「口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである」と言われます。ということは、何かが外から攻めて来るというより、私の中から何かが出て行って、人を攻めているということのようです。
 外から来るこわいものや甘い誘惑。そして、内から出ていく「正しさ」という名前の誘惑や、人を踏みつけにしてでも前に行こうとする誘惑、その他たくさん。元寇も来たけど倭寇も行って迷惑をかけました。私もまず、このコラムが「人を汚して」いないか、点検したいと思います。

(教区主教)