2006年7月16日  聖霊降臨後第6主日 (B年)


司祭 ヨブ 楠本良招

「初島だより その2  技術とは」

 山緑川涼し、園庭は緑の木々で囲われ、駅から園庭の楠の木や高い木々が見えます。先日、地域のシルバー人材センターの方が園庭の木々を剪定してくれました。年配の方でしたが、するすると木に登り、のこぎりやチェインソウを使用する姿に職員も園児もあまりにもの素晴らしい技術に感嘆の声をあげて見上げていました。私よりも年配の方々でしたが、シルバーのタラントを活かし、第2回の卒園者もいたのも何かの縁とさえ思いました。それ以来玄関先の舗装工事、屋根のとゆ修理などをシルバー人材センターに依頼することが多くなりました。
 さて、どんなに暑くても、園のにわとりは朝4時すぎには第一声を発します。職員が交代で世話をしますが、雄なのでつつきます。まず水をかけてにわとりを上の棚に追いやり、その間に餌と水変えをするので、少々技術を要します。私もトライしましたが旨くいきませんでした。
 技術の上達は時間を要するかも知れません。シルバー人材センターの方もそうです。命綱をかけないで大木に登っていきます。にわとりの世話とは比較にはなりませんが、熟練した技術は年齢を感じません。
 牧師に対して技術と言う表現はあまり好みませんが、例えばEメールでのやりとり、このHP説教も教区アドレスに送ってもらうと作業が便利とあります。どうも私はその技術は無理なようです。FAXとなってしまいます。便利性の技術のみを考えてしまいます。
 今週の福音書は、イエスは弟子達へのこれからの生き方を示しているように思います。「旅には杖一本、パンも袋、帯の中に金も持たず、下着は2枚着てはならない」と弟子達に命ぜられます。イエスに従うとは厳しさがあるのでしょうか。「迎えようとはせず、耳を傾けようとしない所があったら」と続きますが、私はこれらの文章は否定的には捉えていません。家に迎えられ、耳を傾けることの大切さを説いていると思います。静かに相手の語ることを聞くことから全てが始まるのではないでしょうか。喋りすぎること、雄弁さは相手を黙らしてしまう傾向があります。聞くことの方が雄弁よりも優れていると思います。
 派遣の厳しさをイエスは12弟子に語っていますが、必要なものは全て与えられる意味もあるように思います。私の小さな体験ですが、以前ある教会で、米が無くなり買わねばならない時、玄関に新米をある信徒が置いてくれ、備えられていたことがありました。不思議な出来事でした。讃美歌21に「キリストにはかえられません 世の宝も富も、このおかたがわたしに代わって死んだゆえです。世の楽しみよ、去れ。世のほまれよ、行け。キリストにはかえられません、世のなにものも。」と言う歌があります。私の好きな曲と歌詞の一つです。イエスは必要なことは全て知っておられる。そんな歌詞の内容です。
 牧師の技術はイエスによって与えられる恵みと思います。どうすれば牧師の技術はみ心に適うのだろうかと思いめぐらしています。
 緑豊かな海と川の初島の地で牧師の技術について少し考えるこの頃です。