2020年12月20日     降臨節第4主日(B年)

 

司祭 クリストファー 奥村貴充

 教会の関連学校・幼稚園・保育園などでは聖誕劇が行なわれる時期となりました。私が携わっている幼稚園では、年長組のみんなが支え合って1つになっている素晴らしい聖誕劇でした。

 降臨節第4主日の福音書(ルカによる福音書1章26〜38節)は、受胎告知の場面です。ここはマリアの心の変化が読み取れる内容です。天使ガブリエルの言葉に対し、34節「どうして、そのようなことがありえましょうか」と答えている所がありますが、この後の対話で38節「お言葉どおり、この身に成りますように」と、マリアは自分の身を神の御心に委ねていくように変えられていきます。
小説では登場人物の心の中を描写するのが一般的ですが、福音書ではあまり心の変化は書かれません。なので、推測に過ぎない面もありますが、受胎告知によって今まで自分の考えていた人生が全否定された時の心の動揺が34節の一言に凝縮されている感じがします。
マリアは将来の結婚生活を夢見るごく普通の乙女だったに違いありません。神の計画とはいえ、年頃の乙女の未来予想図を打ち砕く受胎告知を受けた時の衝撃はかなり大きなものだったと思われます。福音書では天使ガブリエルとのほんの少しの対話で「お言葉どおり、この身に成りますように」と、さらっと決断したと読めますが、実際は心の中に渦巻く苦しい程の葛藤の後、御心として受け入れていったのではないでしょうか。38節の言葉は自分を優先させるのではなくて、全てを神に献げていく信仰が表れている箇所だと言えます。

 話は変わりますが、自分の人生が思うようにいかない時に「どうして、そのようなことがありえましょうか」と言いたくなります。今まで思い描いていた人生が、神のご計画では御心ではなかった……。打ち砕かれるような感じです。でも、それと向き合っていくことによって、これは神が用意して下さった道だったのだと祈りと黙想を通して思えるようになっていきます。
私の先輩は大手のメーカーに就職が内定しました。でも卒業後の進路は神学校でした。キリスト者学生会という聖書研究と祈祷会を中心としたグループでその先輩はもがき苦しむ葛藤にさいなまれ、祈り続け、受け入れていった体験談を語って下さいました。理系だった先輩の未来予想図が一変し、献身する(牧師になる)人生を歩む決断でしたが、結果的には良い方向に導かれたのでした。

 私たちの日常生活の中で、自分の思い通りとは逆になることも多々あります。マリアにとっては当初は理解し難い受胎告知を受け入れていったからこそ、主の母として神の御心に適う人生を歩んでいったのでした。