2021年1月3日     降誕後第2主日(B年)

 

司祭 セシリア 大岡左代子

「神への信頼」【マタイによる福音書 2:13−15、19−23】

 聖書に記されるクリスマス物語は、非常に神秘的で、牧歌的なイメージがありますが、マタイによる福音書にはイエスの誕生物語とともに非常に残酷な物語も記されています。今日与えられた福音書は16節から18節は省かれていますが、そこには、新しい王の誕生を恐れたヘロデ王がベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を一人残らず殺させた、とあり、これも預言者エレミヤの口を通して言われていたことだと言います。このときに犠牲になった子どもたちを覚えて祈る日が12月28日の「聖なる幼子の日」ですが、クリスマスの期間中にこの日があるということは、イエス誕生の出来事は喜びである一方で、最初から苦難と痛みに満ちたものであることをも表しています。

 さて今日の福音書は、その難を逃れるために「主の天使」がヨセフの夢に現れて「起きて、子どもとその母親を連れてエジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい」というところから始まります。マタイではこのように「夢での天使のみ告げ」を聞いたヨセフや占星術の学者が、それを信じ、忠告を守ることによってイエスの小さな命を守りました。聖書の中で、ヨセフが取り上げられるのはマタイによる福音書のこの冒頭の部分のみです。母マリアは、その後神の母としての地位をキリスト教の歴史の中でつくりあげられていきますが、ヨセフについてはあまり触れられることはありません。このヨセフからわたしたちは、神の声に聞き従う姿を知ることができます。マリア懐胎の出来事では、ヨセフ自身もどんなに思い悩んだことかと想像します。そして、エジプト避難、エジプトからの帰還においても、次々と困難が待ち受ける状況を、きっと「困った」「こんなはずではなかった」と思いつつも、最終的には「恐れるな」「インマヌエル 神はわたしたちと共に」という天使の声を思い出し、それに従うことをヨセフは決断したのでした。そこには、この幼子こそが、すべての民を救う救い主である、と信じるヨセフの信仰があったのです。ヨセフ自身、きっとさまざまな葛藤があったことと思いますが、その中で自分自身が神から与えられたあり様を受け入れ、神の声を懸命に聞いて来たのではないかと思います。イエスは、そのようなヨセフ、そしてヨセフと共にイエスを神の子であると信じたマリアによって守られ、成長していかれました。
 様々な価値観、特に現世利益的なものを求める傾向が強い昨今、ひたすら神に信頼し、誠実に生きる、自分の声ではなく、神の声に聞き従うことが希望となり、喜びとなる、そのような歩みを共に続けていきたいものです。神様の祝福とみ守りを心からお祈りいたします。