2021年7月25日     聖霊降臨後第9主日(B年)

 

司祭 ダニエル 鈴木恵一

人が湖の上を歩く。そんなことが本当にイエスさまはできたのでしょうか。今日の福音書(マルコ6:45−52)を読んで誰もが思うことでしょう。凍った湖なら、歩くことができるかもしれない。それなら弟子たちの舟も動くことができなくなってしまいますし、イエスさまを幽霊だと思うこともなかったでしょう。この不思議な出来事は、わたしたちに何を伝えようとしているのでしょうか。わたしたちは人の気配を感じて恐ろしくなることがあります。そこに人が立つことができないところからの視線を感じたりすればなおさらです。漕ぎ悩むような強風のなか、弟子たちが見たイエスさまの姿も同じように恐ろしく感じたことでしょう。
ここで興味深いのは、イエスさまは弟子たちのそばを通り過ぎようとされたことです。イエスさまは弟子たちを助けようとして来てくださったのではないのでしょうか。通り過ぎて、どこへ行こうとされたのでしょうか。この一言もわたしたちを不思議な思いにさせるものです。これは、神さまが姿を現わされるときの描写にかさなります。旧約聖書の出エジプト記では、神さまはモーセを岩の裂け目に入れて、栄光を通り過ぎさせました。また、預言者エリアがホレブの山に逃げたとき、エリアの前を神さまが通り過ぎました。この「通り過ぎる」は、神さまがわたしたちに姿を現わしてくださることの表現です。イエスさまが、わたしたちの思いをはるかに超えたあり方で、姿をしめしてくださり、守り導いてくださることを伝えています。
そしてイエスさまは、通り過ぎるだけでなく、弟子たちに話し始められ、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と弟子たちを力づけられました。そして、イエスさまが舟に乗り込むと風は静まり、湖は穏やかになりました。
イエスさまがわたしたちとともにおられるとき、嵐のような恐れや不安は静まり、歩むべき道が示されます。わたしたちもイエスさまがともにおられることに感謝して一緒に歩みを進めていきましょう。