2021年11月14日     聖霊降臨後第25主日(B年)

 

司祭 アンデレ 松山健作

「苦難の後の希望」【マルコによる福音書13:14−23】

 みなさんは、天変地異に対する備えを万全になされているでしょうか。
 私は施設の子どもたちと過ごす中で、毎月の避難訓練がさまざまな事柄を見直す良い機会となっています。地震や火事、不審者侵入などを想定します。しかし、一つひとつの状況に対して、避難の経路、動きや避難場所が異なります。持ち物は、最小限で子どもたちの命が最優先です。
 マルコによる福音書13章は、イエスさまが弟子に語った教えがまとめられており、「小黙示録」と呼ばれます。再臨を視野に入れた終末の時への教えとなっています。14節以下は、戦争や飢饉、迫害を超える最大の苦難が訪れることが想定されています。
 最大の苦難は、それら天変地異ではなく、「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つ」といった形で訪れます。それを見たのなら、一目散に避難する必要があるのです。その際、避難場所から動いてはならず、家にものを取りに帰ってはならず、そして逃げ遅れる可能性のある「身重の女と子を持つ女は不幸だ」と言われます。またこれらの不幸は避難が困難である冬(雨季)に生じないように祈りなさいという教えになっています。
 最大の苦難の背後には、ユダヤ戦争におけるエルサレム神殿の冒涜や崩壊があると考えられます。戦乱、地震、飢饉、迫害、偽メシアの誘惑と続く苦難の中でイエスさまは「今後も決してないほどの苦難が来る」と教えます。
 しかしながら、イエスさまはこの世におけるあらゆるそれらの苦難は、終わりの時ではないことを暗示します。それゆえに最大の苦難の中においても「あなたがたは気をつけていなさい」と告げるのです。
 終わりの時とは、何らかの天変地異や戦争、迫害ではなく、人の子メシアが訪れるときであるのです(マコ13:24以下)。苦難の後に終わりの時が到来し、救いがもたらされます。ゆえに目を覚まして待ち受けるようにと求められているのです(マコ13:33)。
 私たちの生活もこの世においては、苦難の連続と思えることの積み重ねであるかもしれません。しかし、その苦難は、終わりの時を知らせる警笛ではないことに気づくことがあります。その苦難に屈してしまいそうになることがあるかもしれません。けれども、イエスさまの教えに耳を傾け、苦難の先に救いが備えられていること、人の子が到来して救いをもたらしてくださることに希望を置いて生きる信仰へと招き入れられています。