2021年11月21日     降臨節前主日(B年)

 

司祭 アンナ 三木メイ

「地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなた方にあるように」
【ダニエル7:9〜14.ヨハネ黙示録1:1〜8】

 降臨節前主日は、教会暦において1年の最後の主日となります。この主日には、救いが成就される世の終わりについて語られた聖書の箇所が日課として挙げられています。そして、十字架上で死に、復活されたイエス・キリストこそが、神から遣わされた王の王であるという信仰が記されています。
 旧約聖書のダニエル書が成立したのは、紀元前164年頃。この書は、バビロン捕囚時代および他民族の王たちに次々に支配され続けた時代、つまりイスラエルの民にとっての苦難の時代を背景としています。日課の箇所の第七章は、ダニエルの天上の法廷の幻の部分で、この法廷では「日の老いたる者」と呼ばれる神が王座にいます。それは地上の王とは異なっていて、王座は燃える炎です。神の裁きが始まると、尊大なことを語り続ける「角」—これは他民族の王を表していますーは「獣」と共に燃え盛る火に投げ込まれて死んでしまいます。「獣」は他民族の国のことです。神が他民族の王を裁いて権力を取り上げる、というのです。そして「人の子のような者」が天の雲に乗ってやってきます。彼が神から真実の王としての権威と支配権を与えられ、諸民族はすべて彼に仕えるようになり、その支配は永久に続く。世の終わりに、その真実の王の王が到来する、という幻です。
 イスラエルの人々は自分たちの王国を失い、他国の王に支配され、迫害されて苦悩しながら、イスラエルの神への信仰を守り抜き、いつか真実の王の王が到来してこの苦難から解放される時がくる、とメシアを待望し続けたのです。そういう人びとの信仰のヴィジョンであり、預言なのです。
 私たちが現在直面している苦難は、何でしょうか。コロナ禍によって激変させられた日常生活。人と人との接触を最小限にするために、あらゆる場でこれまで当たり前だった環境が失われました。目には見えないウイルスに翻弄され、私たちが失った環境がいつ完全に回復できるのかも不明です。経済的な打撃もあり、将来への明るい希望を抱けなくなった人も多くいます。この苦難、悲嘆を私たちはどう受けとめればいいのでしょうか。
 グリーフ・ケアのカウンセリングに長く携わってこられたあるシスターの言葉をご紹介します。
 「グリーフとは、悲嘆、悲しみ、嘆くことです。何か大切な人や物や環境、そして自分の健康などを喪失した体験をきっかけにして、悲嘆の感情は生じてきます。人生においてなぜ悲しみ、苦しみを経験しなくてはならないのか、その意味を人間は知ることはできない。けれども、それを乗り越えて生きていこうとするその先には、新しい世界が広がっています。人間は悲嘆から回復することによって成長できる生きものです。この世での最後を迎え、イエス様が手を広げて迎えてくださるその時に、この世での悲しみ、苦しみの意味のすべてを悟ることができる、・・・私はそう信じています。」
 キリストを信じて歩む者は、このような最後の希望に向かって歩んでいます。私たちは、さまざまなものを与えられながら成長し、そしてさまざまなものを喪失しながら成長し、年を重ねていきます。どのような時にも、神様は私たち一人一人を見守り導き、最後の永遠の命の希望にいたるまで、共に歩んでくださいます。
 主なる神に栄光と御力が世々限りなくありますように アーメン