2021年12月12日     降臨節第3主日(C年)

 

司祭 サムエル 奥 晋一郎

「本当に優れた方であるイエスさまの降誕を待ち望む」【ヨハネ3:7−18】

 ヨハネは洗礼を授けてもらおうと思っている群衆に対して、「マムシの子らよ」という言葉を続けて、悔い改めを伴った生活をしなければならないことを告げます。そして10節以降で群集はどのような生活をすればよいのか、という質問に答える問答を行います。「下着を二枚持っている者」「食べ物を持っている者」が持たないものに分かち与えること、それ自体は小さな行為であっても、これらのことが神様と他の人に対する大いなる愛の業であることを伝えます。さらに「徴税人には規定以上に取り立てて私服を肥やさないようにと忠告し、兵士にはゆすり取ったり、だまし取ったりせずに、自分の給料だけで満足するように伝えています。このようなヨハネの教えを聞いた人たちはヨハネこそ、ユダヤの人たちが長年、待ち望んでいた救い主ではないだろうかと考えるようになります。しかし、ヨハネは自らがささげる、水による洗礼と優れた方、来たるべき方、救い主、メシアがささげる聖霊による洗礼を区別します。また、メシアと比べて自分は履物のひもを解く値打ちもないと告げます。このことはヨハネ自らが救い主と比べて、召使にもおよばないことを伝えています。最後に、ヨハネその他さまざまな勧めをして福音を述べ伝えた。そして、自らは救い主ではなく、救い主が誕生するまでの道筋を整える役目に徹しました。
 この箇所において、優れた方、聖霊によって、火によって、洗礼を授ける方こそ、イエスさまです。そのイエスさまはどのような「優れた方」であったでしょうか。フィリピの信徒への手紙2章には次のように書かれています。イエスさまは神様の身分でしたが、それに固執せず、へりくだり人間となって、神様の力、聖霊によって、赤ん坊としてこの世に誕生されました。そして己を低くし、死に至るまで、十字架の死に至るまで神様に従順でした。イエスさまは神様と人を愛され、大切にされました。このイエスさまの生き方から、本当の強さは神様から来ることを心に留めることが大切です。そして本当の強さは神様から来るので、すべての人は傲慢にならず、神様と人に仕える生き方をすることが大切だと思います。
 もうすぐ、クリスマスを迎えます。クリスマスは救い主であるイエスさまのご降誕をお祝いする日です。この日を迎えるに当たり、わたしたちは本当の優れた方とは、自らを誇る傲慢さとは結びつくのではなく、神様により頼むことができ、人に仕える謙遜な心を持つことができる方であることを覚えることが大切だと思います。そして、それを完全にできるのはイエスさまのみであることを心に留めることが大切です。わたしたちは完全ではありません。だからこそ優れた方であるイエスさまに対して、礼拝の時に心を自己中心から神様に心を向けることができるように、他の人、ことに小さい立場に置かれている人に心を向けることができるように、悔い改め、懺悔の祈りを行うことが大切です。そして、このことを心に留めつつ、謙遜な心を持って、ヨハネが言っているように履き物のひもを解く値打ちもないほどに優れた方であるイエスさまの降誕を待ち望みながら、クリスマスを迎えたいと思います。