2021年12月19日     降臨節第4主日(C年)

 

司祭 クリストファー 奥村貴充

 12月19日のルカによる福音書(第1章39節〜45節)は、受胎告知のあと、マリアがエリサベトを訪問する内容です。中心的なテーマは、エリサベトを通して不安と葛藤に悩むマリアに希望を与えたことです。

 マリアは自分がまさか救い主の母親になるとは思ってもいなかったでしょう。赤ん坊を身ごもることが急に告げられる、いても立ってもいられない状況の中で、自分の話を聞いてもらいたい心の平安を求めてマリアはエリサベトのもとに訪問したと文脈から感じ取ることが出来ます。自分の心が不安や戸惑いで穏やかではない場合、同じ立場に立って話を聞いてくれる人がいるということはどれだけ心の支えになることでしょうか。
 エリサベトの言葉が印象に残ります。「わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは」。マリアは急な妊娠、もしかしたら社会的な制裁を受けるかもしれない中で、自分のことを肯定的に受け止め、ともに喜んでくれたことは大きな励ましになったのでした。エリサベトが聖霊に満たされた結果です。そして物語はマリアの賛歌に続いていきます。

 わたしたちも同じです。人生の旅路の中で「まさか自分が」というようなことが度々この身に降りかかってきます。そういう時に我が事のように聞いてくれる人がいるのは不安から安心へ、絶望から希望へ道が開かれていきます。わたしが問題に直面した時、ある司祭に話しを打ち明け、聞いてもらいました。というより、話さずにはいられなかった、と言ったほうが適切でしょう。そういう時に一筋の光が差し込んでくるような印象でした。まさに光であるキリストが自分に差し込んできたのです。

 自分1人で抱えきれない問題を背負った場合、1人で抱え込まないことが大切です。神の家族である教会に私たちは連なっています。悩みや苦しみを分かち合うことができるならば、これほど安心できる場所は他にありません。
 信仰を同じくする者が支え合う共同体、それが教会の良さでもあります。家族として支え合い、助け合いつつ、主の到来に備えたい次第です。