2022年2月6日     顕現後第5主日(C年)

 

司祭 ルカ 柳原健之

     士6:11〜24a
     Tコリ15:1〜11
     ルカ5:1〜11

 今日の福音書は、イエスが漁師たちを弟子にされた箇所です。イエスの一番弟子になるシモン・ペトロ、そしてゼベダイの子ヤコブとヨハネが「人間をとる漁師」に召し出されていきます。
 イエスの一番弟子、さぞかし信仰深い人なのかと思ってしまいますが、イエスとの掛け合いや彼の行動を見ていますと、どちらか言えば「愚か者」のように見えます。

 イエスはシモンに「船を出して漁をしなさい」と言われます。しかし、その直前に彼らは漁をしていました。しかも夜通し行ったにもかかわらず、何も取ることが出来なかったのです。シモンはイエスに「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と言います。「お言葉ですから」という一言の裏には、イエスがわざわざ言われるからその言葉通りにしてみよう、「まあ、結果としては何も取れないだろうけれど」と思っている節がうかがえます。シモンの中にイエスへの疑いがあったのではないでしょうか。
 しかし、結果としては網が破れそうに、船が沈みかけるほどの大量の魚が獲れました。この結果を見てシモンは自らを罪深い者であることを告白します。彼は自らの目の前にいる方が聖なる方であることを認めたのでした。
 そのような態度を取るシモンに対してイエスは、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」ことを告げられます。「恐れることはない」との言葉はペトロに対しての赦しであり、信頼をして付いて来なさいとの招きの言葉です。宣教のために働く者へと変えられていったのでした。
 ただ、残念なことにペトロはイエスに対して幾度も誤った考えを起こしており、イエスが逮捕される際などは、自分はイエスの仲間ではない、イエスのことなど知らないと言うのです。しかしイエスはそんなペトロを召し上げられ、器として用いられていったのでした。ペトロの姿は私たちを映し出しているのかもしれません。イエスを信じつつも、どこかで間違いを犯しながら、「罪深い」ことを告白しながら生きているのではないでしょうか。イエスはそんな私たちにも「恐れることはない」と赦しの声をかけてくださり、人間をとる漁師の働きに招いてくださっているのではないでしょうか。
 イエスの言葉に「お言葉ですから」ではなく、「お言葉通りに」網を降ろしていく信仰心を持ち、イエスに付き従っていきたいと思います。