2022年2月27日     大斎節前主日(C年)

 

司祭 ミカエル 藤原健久

十字架では終わらない。【ルカ9:28−36】

 イエス様とモーセとエリヤが、神様の栄光に包まれて話し合っています。その内容は「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後」、つまり十字架です。彼らの姿は、十字架と神様の栄光が結びついていることを、教えてくれます。それは後に、十字架と復活で、成就しました。
 私たちの苦難と神様の救いは、結びついています。苦しみの後には、必ず救いがあります。それは多くの人々の経験談の中にも示されており、信頼できる真理のようです。
 そのことを思いながら自分を振り返ってみますと、呑気に過ごしてきた私には、激しい苦しみも、劇的な救いも、思い出すことはできませんでした。それなりに苦しい思いもしているのですが、時間の流れの中で、徐々に癒されたようです。つまりは「日にち薬」です。
 私たちの苦難を癒す救いは、「日にち薬」のような、穏やかなものも含むのかもしれません。苦しみを徐々に癒す、日々の生活の積み重ねの中に、神様の救いがあるのかもしれません。
 十字架の後には復活がある、苦しみの後には救いがある、そのことを覚え、希望をもって、愛の道を歩みたいと思います。