2022年9月11日     聖霊降臨後第14主日(C年)

 

司祭 エレナ 古本みさ

「神さまは決して見放されない」【ルカによる福音書15章1−10節】

 先週、父が亡くなった。88歳だった。戦前の牧師家庭に生まれ、今を生きる私たちの想像を絶する戦中戦後の困難の中での彼を支えたのは、両親から受け継がれた「神さまが共におられるから大丈夫」という根拠のない自信のみだった。小学校の教師を数年した後に牧師となり、定年前の10年間は主教職に与り、神戸教区教役者を率いる羊飼いの役割を全うした。
 羊飼いイエスに従うのは当たり前という生まれつきのクリスチャンとして、その信仰は揺るがないものでありながら、同時にとてもおおらかなものであった。しかし、彼の性格はとても実直・几帳面であり、特に主教となってからは、イエスの弟子として、また教区の羊飼いとして模範となるべき姿を否が応でも追い求める日々であったと想像する。
 召される数か月前、施設の部屋で私と二人きりになったときに、彼は静かに訴えるように打ち明けた。「頼む。もう、教会や信仰の話をお父さんにしないでくれるか。お祈りもしんどいのや。」「いいよ、大丈夫だよ」と答えながら、内心ものすごくショックだった。どうして? 最後までイエス様についていくんじゃないの? そんな思いでいっぱいになった。夜ひとり、頬を涙で濡らす私に息子は言ってくれた。「じいじは、もう信仰いらないんだよ。神さまが一緒にいるからね。」
 最期を覚悟した日、施設の礼拝堂で家族だけで塗油と聖餐式を行うことができた。父は、大きな声で「アーメン」と言い、癒しの油を受け、いのちのパンとぶどう酒をいただいた。息を引き取る3日前に、全身の力を振り絞るようにして発した彼の最後の言葉は、「ありがとう。ありがとう」だった。それは、私たち家族に対する感謝の言葉であったと同時に、無邪気な幼い子どもにかえり、もう一度神さまに見つけられた安堵と感謝の叫びだったように思う。
 お父さん、ありがとう。もはや赤い式服も杖も身につけなくていい、緑一面広がる天国で、永遠の羊飼いのもと安らかに憩ってください。