2024年11月17日 聖霊降臨後第26主日(B年)

 

司祭 アンナ 三木メイ

 1年の教会暦の最後が近くなってきました。この時期の聖書日課は「世の終わり」=「終末の時」に関する箇所になっています。「世の終わりが近づいている」というメッセージは、今日の日課の旧約聖書にも使徒書にも福音書にも記されています。このような「世の終わり」のイメージが語られ続けた背景には、古代の人々が常に何らかの大きな状況変化に遭遇するかもしれないという恐れと不安を抱いていたからではないでしょうか。特に大陸で生活する民族は、常に他民族との権力争いや戦争で自分の家族や国を失う危機を覚悟しなくてはなりませんでした。また自然現象の急変によって飢饉が起こるとか、伝染病に苦しむこともあったでしょう。そういう時には将来への希望を持ち続けることが難しかったはずです。だからこそ、人々にとって神への信仰は欠くべからざるものであったに違いありません。旧約の預言者たちは、神の裁きとして危機的な状況がやってくることを繰り返し預言し、信仰の火をしっかり灯し続けることの大切さを宣べ伝えています。そうして、これからやってくる危機や急激な変化を受け止めるための心を整える役割を果たしていたのかもしれません。
 旧約聖書のダニエル書が成立したのは、おそらく紀元前164年頃だと思われます。黙示文学という特殊な表現方法で、預言者ダニエルを中心とした物語と預言が記されています。このダニエルは、具体的な一人の人間ではなく、イスラエルの民を象徴的に表していて、そこに幻として描かれる預言の内容は、イスラエルの人々の信仰を表していると考えられています。この文書の背景となっているのは、イスラエルの民が王国を失いバビロン捕囚となった時代、他の民族の王たちに次々と支配を受け続けた苦難の時代です。ですからダニエルが受けた苦難は、イスラエルの苦難を表しています。そして苦しみ多いイスラエルの民が終わりの日に待ち望んだのが、神から王権を与えられたメシアの到来でした。
その「メシア待望」の信仰は、イエスの時代にも語り継がれていました。当時、メシアではないかと言われた人物はイエスだけではなかったようです。偽メシアが多くの人々を惑わすだろう、とイエスは弟子たちに告げています。そして、戦争、地震、飢饉が起こり、弟子たちは迫害を受けるだろう、しかし、それでもまずすべての民に福音を宣べ伝えなさい、とイエスは彼らに命じました。
 現代に生きる私たちも、いつ地震が起こるかわからない、他国での戦争状態は終わりが見えない、また新たな争いや自然災害や伝染病が生じるかもしれない、そういう将来への不安を抱いて生活しています。もし、これまでの平穏な日常生活が突然破壊されるような出来事が起こったとしても、私たちはイエス・キリストを通して示された神の愛と救いを信じて、「終わりの時」まで歩んでいけるでしょうか。
 苦難の道を歩み続けようとする者たちに、イエスは語られます。「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(マルコによる福音書13章13節)
 そして、キリスト教迫害を乗り越えた使徒は手紙にこう記しました。
 「神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。」 (ヘブライ人への手紙10章36節)