18:28 2018/10/15
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★太田信三 司祭による主日の福音 ★主日の福音(2026年4月5日) (復活日、A年)「あの方はここにはおられない」(マタイによる福音書28:1-10) 「あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」死は終わりではなかった。死は、神に勝てなかった。死が悪の力の象徴であるならば、それもまた、神に勝てなかった。 復活は人間のたくらみ、罪、そして悪霊の力を神が打ち砕かれたということです。死をも支配する神は、どのような人間よりも、そしてどんなに強力な悪にも勝る。ローマの総督ポンテオ・ピラト、ヘロデ王、大祭司であろうと、そして「十字架につけろ!」と叫んだ群衆の渦巻く憎悪であろうと、神の前には無力であること、それが明らかにされたのが、イエス・キリストの復活です。 死者の復活というだけなら、実はそれは、世界中の古い民話の中にいくつも見いだされる、ありきたりな話の一つです。しかし、私たちにとって大切なことは、他の誰かではなく、イエス・キリストが復活されたということです。イエスは人間の悪意、恨み、嫉妬…そうしたあらゆる悪、罪によって殺されました。その十字架上の姿は、今この世界の中で、いやまさに私たちの日常のどこかで、人間の思惑や憎悪、利己心の中で、今この時も、戦争や虐待によって殺されていく子どもの姿であり、私たちが当たり前のように生きているこの社会における構造的な搾取、差別によって、飢えて死んでいく人びとの姿なのです。十字架上のイエスの姿はその小さく弱くされた命、力を奪われた人びとの姿です。神はそのイエスをこそ復活させられました。神はこれによって、ご自分が小さくされた命の側に立つことを明らかにされたのです。神は今この時も、命の価値を奪われ、捨てられていく、弱く、小さな、力のない命の側に立つ神なのです。弱くされ、力を奪われた命に、「大丈夫だ!」と、神はなんとしても希望の光をもたらしたかった。それが、イエスの復活です。だから、私たちはほかの誰でもない、イエスの復活をこそ祝うのです。そして、闇が支配しているかのように思えてしまう今のこの世界で、小さくされた命に向かって、イエスの復活を告げ知らせるのです。 イエスの復活。それは絶望の先に必ず命が用意されていることを私たちに約束する出来事です。もう駄目だ、の先がある。あなたの絶望に必ず光が灯される。イエスが死んで、復活してくださって本当によかった。心からお祝いしましょう。イースターおめでとうございます。 ★主日の福音(2026年4月12日) (復活節第2主日、A年)「見ないのに信じる」(ヨハネによる福音書20:19-31) ご復活のイエスが弟子たちに前に現れた時、トマスはそこにいませんでした。それを知ったトマスは、まるで悔しがる子どものように頑なになり、「傷を見るまでは信じない」と言いました。トマスはなぜ頑なになってしまったのでしょうか。それは、トマスが他の弟子たちがご復活のイエスに会ったことが羨ましくてたまらなかったからではないでしょうか。トマスは、不信仰だと咎められるものかもしれませんが、トマスのように素直に、嫉妬して、ふてくされるほどにイエスを求める、それもまた信仰者の尊い姿に思えます。何よりも、私たちはトマスがいてくれたおかげで、イエスの優しさを知ることができます。傷を見るまで信じないと言ったトマスにもイエスは現れ、ご自分の傷に触れるようにと声をかけてくださいました。ここにイエスの深い愛を感じます。その愛を受けたからこそ、トマスは傷に触れるまでもなく、「わたしの主、わたしの神よ」と、イエスを「神」と信仰告白したのです。これは、それまでどの弟子たちもできなかった信仰告白です。トマスは疑いました。しかし、疑いの先にイエスに出会い、その愛に触れ、イエスへの深い信仰へと導かれたのです。 「見ないのに信じる人は、幸いである。」この言葉は、トマスにだけ向けられた言葉では留まりません。この言葉は、イエスを直接目にすることができない今を生きる私たち、この言葉を聴くすべての者に向かって語られています。「見えなくとも、わたしはあなた方と必ず共にいる。そのことを信じなさい」とイエスは仰っているのです。イエスがはじめに弟子たちに現れたのも、そしてトマスに現れたのも「週の初めの日」、つまり日曜日でした。私たちは毎週、その日曜日に主の復活を祝って礼拝をささげています。この主日にあって、あらためてトマスに訪れたイエスの愛の出来事を自らに感じたいと思います。イエスは閉じられた戸も超えて弟子たちのなかに立たれたように、「あなたがたに平和があるように」と、私たち一人ひとりを祝福し、私たち一人ひとりにも神の息吹を注いでくださっています。そして、私たちが疑おうとも、近づいてきてくださるのが主イエスです。今、あらためてイエスのその深い愛に触れ、弟子たちのように新しい命に与りたいと願います。そして、トマスが変えられたように、この復活節、私たちが「見ないのに信じる」幸いな者とされますように。 ★主日の福音(履歴) B年(2023~2024年) → 2023年12月3日 → 2023年12月10日 → 2023年12月17日 → 2023年12月24日 → 2023年12月31日 → 2024年1月7日 → 2024年1月14日 → 2024年1月21日 → 2024年1月28日 → 2024年2月4日 → 2024年2月11日 → 2024年2月18日 → 2024年2月25日 → 2024年3月3日 → 2024年3月10日 → 2024年3月17日 → 2024年3月24日 → 2024年3月31日 → 2024年4月7日 → 2024年4月14日 → 2024年4月21日 → 2024年4月28日 → 2024年5月5日 → 2024年5月12日 → 2024年5月19日 → 2024年5月26日 → 2024年6月2日 → 2024年6月9日 → 2024年6月16日 → 2024年6月23日 → 2024年6月30日 → 2024年7月7日 → 2024年7月14日 → 2024年7月21日 → 2024年7月28日 → 2024年8月4日 → 2024年8月11日 → 2024年8月18日 → 2024年8月25日 → 2024年9月1日 → 2024年9月8日 → 2024年9月15日 → 2024年9月22日 → 2024年9月29日 → 2024年10月6日 → 2024年10月13日 → 2024年10月20日 → 2024年10月27日 → 2024年11月3日 → 2024年11月10日 → 2024年11月17日 → 2024年11月24日 C年(2024~2025年) → 2024年12月1日 → 2024年12月8日 → 2024年12月15日 → 2024年12月22日 → 2024年12月25日 → 2024年12月29日 → 2025年1月5日 → 2025年1月12日 → 2025年1月19日 → 2025年1月26日 → 2025年2月2日 → 2025年2月9日 → 2025年2月16日 → 2025年2月23日 → 2025年3月2日 → 2025年3月9日 → 2025年3月16日 → 2025年3月23日 → 2025年3月30日 → 2025年4月6日 → 2025年4月13日 → 2025年4月20日 → 2025年4月27日 → 2025年5月4日 → 2025年5月11日 → 2025年5月18日 → 2025年5月25日 → 2025年6月1日 → 2025年6月8日 → 2025年6月15日 → 2025年6月22日 → 2025年6月29日 → 2025年7月6日 → 2025年7月13日 → 2025年7月20日 → 2025年7月27日 → 2025年8月3日 → 2025年8月10日 → 2025年8月17日 → 2025年8月24日 → 2025年8月31日 → 2025年9月7日 → 2025年9月14日 → 2025年9月21日 → 2025年9月28日 → 2025年10月5日 → 2025年10月12日 → 2025年10月19日 → 2025年10月26日 → 2025年11月2日 → 2025年11月9日 → 2025年11月16日 → 2025年11月23日 A年(2025~2026年) → 2025年11月30日 → 2025年12月7日 → 2025年12月14日 → 2025年12月21日 → 2025年12月28日 → 2026年1月4日 → 2026年1月11日 → 2026年1月18日 → 2026年1月25日 → 2026年2月1日 → 2026年2月8日 → 2026年2月15日 → 2026年2月22日 → 2026年3月1日 → 2026年3月8日 → 2026年3月15日 → 2026年3月22日 → 2026年3月29 日 → 2026年4月5 日 → 2026年4月12 日
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