18:28 2018/10/15 東京聖テモテ教会 - 主日の福音

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★太田信三 司祭による主日の福音

★主日の福音(2025年10月26日)
(聖霊降臨後第20主日・特定25、C年)「続・祈りについて」(ルカによる福音書18: 9-14)
 先週に続き今週も、イエスは「祈り」について語ります。今週のたとえでは、「うぬぼれている」人としてファリサイ派の人が登場します。ファリサイ派の人々は、律法をあらゆる現実の状況に当てはめ、具体的に解釈し、それを正確に守ろうとしました。しかし残念なことに、彼らはそれを守っているかどうか、という尺度で人の価値を決めてしまっていました。そして、「あの人と違って、私はこれができているから正しい」と、彼らはいつも誰かを罪人としなければ、自分たちの正当性を確認できませんでした。それゆえ、今日の福音におけるファリサイ派の人の祈りは、他者との比較で自分を神に認めさせようとする、単なる自己肯定の宣言のようなものになってしまっています。
 他方、徴税人は遠くに立ち、神殿に登ることも、目を天に上げることもできず、胸を打ちながら祈りました。イエスの時代、徴税人はユダヤを支配していたローマ帝国のため、同胞のユダヤ人から税金を徴収する役目を担っていました。その役職につくために多額の資本を投じたとも言われ、それを回収するためにも、不正な方法で取り立てることもあったようです。それゆえ徴税人は、同胞であるユダヤ人にしてみれば支配国の手先、十戒の「盗むな、偽証するな」に照らせば、罪人に他なりませんでした。
 世間的に見て正しいのは、律法をよく学び、忠実に生きようとしたファリサイ派の人に決まっています。しかしイエスは、「義とされて」家に帰ったのは徴税人の方だと言います。義とされる、とは「神に善しとされる」とか、「神との正しい関係に入る」という意味です。それは今日の文脈で言うなら、どちらの祈りを神は喜ばれたか、ということでしょう。神の前で自分を誇ろうとしたファリサイ派の人と、自分のありのままを神に差し出した徴税人。徴税人の祈りこそ、神が喜ばれる祈り、神との正しい関係を表すものだったのです。
 私たちは日々、自分の弱さや悪さを克服することに力を注ごうとします。もちろん、それはとても大切なことなのですが、しかしそこには、自らの行いや力に頼り、自らを誇り、神から離れてしまう落とし穴が潜んでいます。イエスは、弱さは神の憐れみに出会うための入り口、門だと教えています。自らを、弱さもろとも神の前に差し出し、神に頼って生きたいと願うとき、十字架上で最も弱い者となってくださったイエスが、両手を広げて迎えてくださいます。そしてイエスに迎えられ、神と共にある命に生きるところに、私たちが本当の意味で、神に喜ばれる道が開かれます。
 イエスが来られたのは、「正しい人を招くためではなく、罪人を招くため」です。私たちは主の前にどのように立ち、祈っているでしょうか。自らを省みます。

★主日の福音(2025年11月2日)
(聖霊降臨後第21主日・特定26、C年)「ザアカイ、急いで降りて来なさい」(ルカによる福音書19:1-10)
 先週の福音でも徴税人が登場しましたが、今日の福音では、徴税人の頭が登場します。イエスに声をかけられることになったザアカイです。金持ちであったとあります。金持ちは、特にルカ福音書においては、財産への執着ゆえに神の救いから遠い存在として描かれます。徴税人で金持ち、つまりザアカイは救いからほど遠いとされた存在です。しかし、このザアカイも救いへと招かれます。
 イエスの旅はエリコに入ります。これまでの旅で数々の奇跡を行ってきたイエスの評判は知れ渡っていたようで、大勢の群衆がイエスを見ようと集まってきます。ザアカイもイエスを見ようとやってきますが、人混みに遮られて、イエスが見えません。彼は走って先回りし、ついには道端のいちじく桑の木に登ります。当時の成人男性の行動として、走ることも、まして木に登ることも、恥ずかしいことだとされていました。しかし彼は、そんなこと気にしていられないほど、イエスを見たいと望んだのです。もちろん、徴税人という仕事についている時点で、人の評価や目など気にしない人であったのかもしれません。ただ事実として、ザアカイはお金には不自由しなくとも、人々から罪人とされていました。そして彼自身、自分は神から離れて生きている、という葛藤のなかで、まことの生き方、まことの救いを求めていたのでしょう。この行動に、その思い溢れています。そのザアカイにイエスは呼びかけます。
 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは跳び上がるほど驚いたでしょう。イエスは、ザアカイが名乗る前からザアカイの名を知り、その名を呼ばれました。この箇所は以下のように直訳できます。
 「ザアカイよ、急いで降りてきなさい。なぜなら今日、あなたの家にわたしが留まることになっている。」
 「今日」イエスがザアカイの家に留まることは定められていたこと、ということです。今日という日は、他でもない神のよって定められた日であり、ザアカイは今日、出会うべくしてイエスと出会ったのです。
 「人の子は、失われたものを捜して救うために来た」とイエスは言います。そのイエスは、私たちが求めるならば、私たち一人ひとりの名を呼び、迎えてくださいます。ザアカイにとっていちじくの桑の木がその場所であったように、神は私たち一人ひとりにその時、その場所を用意してくださっています。ザアカイに訪れた驚きと喜びが、私たちにも実現するのです。嬉しいことです。

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