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2012年7月15日発行
【巻頭言】 『御子における三つの事柄』 司祭 バルナバ 菅原裕治
今回は、ヘブライ人の手紙から学んでみたいと思います。この書簡は、手紙となっていますが、他の手紙類とは少し異
なっています。内容としては、教えと勧めが交互に配置されており、そこから説教集であるとか、神学的な書物に属する
とかいろいろな説明がなされます。またかつて著者はパウロと考えられていましたが、著者は不明です。
*
全体の特徴として、旧約の引用が多いこと、イエス・キリストを大祭司と呼んでいること、犠牲・聖所というユダヤ教の祭
儀用語が多いことなどがあげられます。それらのことから、この手紙は、少なくともイエス・キリストとユダヤ教の祭儀、
またはキリスト教とユダヤ教の祭儀との関連をどのように考えるべきかを主題にしていることは確かであると思います。
「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代に
は、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造
されました。」(一章一〜二節)
ここには、ヨハネによる福音書の冒頭と同じような世界や歴史の根本にかかわる事柄が明確かつ簡潔に述べられて
います。「神は語られた」とは、神様の啓示のことを指していますが、それが歴史上、様々な時において、様々な状態で
語られたと述べています。そしてそれらの歴史の流れを「かつて(旧約の時)」と「この終わりの時代」と対比することに
よって、啓示をされる神様は変化していないが、御子(イエス・キリスト)によって啓示の内容が根本的に変わったと語っ
ています。かつての啓示とイエス・キリストを通した啓示の違い、それは旧約と新約の啓示の違いとも言い換えることが
できますが、そこにある決定的な変化・違いとは、
第一には、啓示が「御子・イエス・キリスト」によって語られたこと。
第二に、御子・イエス・キリストが万物相続者として神の子としての身分を持つこと。
第三として、御子・イエス・キリストが世界の創造者として役割を持つことです。
これら御子の三つの役割、「御子による啓示」「万物の相続」「世界創造」は、「御子は、神の栄光の反映であり、神の
本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天
の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」(一章三節〜四節)に明確に記されています。
ここで示されることは、御子・イエス・キリストが神の完全な見える表現であり、今も働いていており、更にその終わりの
時の業が、罪のきよめであったということです。そしてこの業が、御子・イエス・キリストが祭司として機能することを意味
しているのです。
次に、この祭司である御子・イエス・キリストは、天使(御使い)と比較されます。天使は、旧約においても、新約におい
ても、サタンと同様にその存在が認識され、天使は、神様と人間との間を取り持つ、仲介的役割を担うと考えられてき
ました。しかし天使の役割は、あくまで仲介者に過ぎず、先にあげた三つの決定的な役割は持ちません。また天使は預
言者と同様に一時的な存在ですが、御子は神と同様に不変なのです。現代の私たちにとって、イエス様と天使の違い
は、明確であると思います。
しかし、キリスト教が誕生して間もない時代、またユダヤ教の一部であるという認識が強かった時代、イエス様と天使と
を区別する必要がありました。それはイエス様を、キリストと呼びながらも、それまでのキリストとは異なると区別するこ
と、またイエス様に預言者的な部分を見出しながらも、それまでの預言者とは異なると区別することと同じです。ヘブラ
イ人への手紙の冒頭では、七つの旧約の箇所が引用され、天使と御子の違いについて説明がなされています。結論
は、天使と御子とは異なるのだから、この御子・イエス・キリストによってもたらされた救いの出来事を、しっかりと心に
留めておかなくてはならないということです。
それでは、御子によって何が明確にされたのか、それは以下の三つの事柄だと言えます。そしてそれは、「まじわり」第
一三七号(2010年7月)の巻頭言で書いたことと関連します。すなわち教会を成立させる三つの要素=聖書、伝統、
聖霊です。
第一は、救いは神様によって、モーセをはじめとして預言者たちによって、最終的に主イエス・キリストによって、言葉
と行為とを伴って語られたということです。そのことを明確に記しているのが聖書です。ヘブライ人への手紙が書かれた
時点では、聖書は旧約のみでしたが、すでにこの神様の救いの啓示という延長線上に、イエス・キリストの出来事を含
んだ新約を視野に入れているのです。
第二に、その救いが人々によって伝えられること、伝統の大切さということです。それは単なる情報伝達ではなく、何か
を守ることでもありません。伝えられた事柄が、実体化されること、人格から人格への伝達です。教会は、ただ何かを
伝えているだけ、あるいは継続しておこなっているだけではなく、この救いの実体化を伴う人格から人格への伝達があ
るからこそ、過去・現在・未来を通した救いの共同体(現在の私たち)として存在し得るのです。
第三は、神様による、しるしと不思議とさまざまな力あるわざとを引き起こす聖霊の存在を深く認識することです。ユダ
ヤ教の神殿祭儀に代わる、キリストの祭司としての務めは、十字架において明確になったのですが、その祭司としての
清めと贖いの救いの業が、時間と空間を超えていつでも成立するのは、聖霊の働きに他ならないのです。それは単な
るエネルギー作用ではなく、聖霊という神様の人格的な関わりにほかなりません。
*
ヘブライ人の手紙は、イエス・キリストを大祭司と呼ぶことを通して、旧約から始まる神様の救いの出来事を語りま
す。その神様の救いの力は、今も私たちの教会・まじわりを通して働いていることを、これからも信じて歩んでいきたい
と思います。
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