まじわり143号

2013年9月22日発行

【巻頭言】  『救いの創始者』                                   司祭 バルナバ 菅原裕治

 ヘブライ人への手紙は、神の御子であるイエス様と神の御使いである天使との比較から始まりましたが、第二章五〜

一八節でも、その話題がまだ続いています。著者はまず、イエス様が、単なる神の使いである天使たちと異なり、来た

るべき救いの世界を支配しておらられる方だと述べます。そしてそのような支配が確立した根拠を、詩編の八篇を引用

して示します。

「あなたが心に留められる人間とは、何者なのか。また、あなたが顧みられる人の子とは、何者なのか。あなたは彼を

天使たちよりも、わずかの間、低い者とされたが、栄光と栄誉の冠を授け、すべてのものを、その足の下に従わせられ

ました」(六〜八節)。

ここにある引用はギリシア語訳からですから、新共同訳の詩編とは少し異なります。またこの詩編は本来人間とは何か

について語っている個所です。すなわち、人間は、神によって神よりも低く作られた存在でありながら、自然を治める務

めを任されたということです。その論理的構造がここでは、イエス様に当てはめられています。御子であるイエス様は、

人間として一時的に天使たちよりも低くされたが、そのことを通して死の苦しみを経験することとなった。しかし、その十

字架の死を通して全ての人の贖いとなったと記しているのです。そして贖いとなったからこそ、来たるべき救いの世界を

支配する存在となったと著者は述べているのです。少し論理の飛躍があるようにも思えますが、そのような飛躍がある

のは、イエス様とは支配する救いが、力強さによるものではなく、死の苦しみを経験して誕生したものであるという確信

が著者にあるからです。その点が、強力な神の力による神の支配を期待する旧約的な部太は大きく異なっています。

著者はさらに次のように述べます。「ただ『天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた』イエスが、死の苦しみのゆえ

に、『栄光と栄誉の冠を授けられた』のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったので

す」。ここにあるのは、キリスト者とは、そのイエス様を見た存在であるという自己理解と、イエス様の苦しみと死の出来

事は、神の恵によるものであるという信仰です。つまり信仰とは、イエス様が苦難と死を通して、救いの創始者としてそ

の務めを全うされたことを信じることなのです。

著者は、その信仰を通して次のようなことが明らかになると語ります。それは「事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる

者とされる人たちも、すべて一つの源から出ている」(一一節)ということです。すなわち、救いの創始者として人間を聖

とするイエス様も、聖とされる人間も、同じ神から出ている、つまりイエス様は人間と等しいということです。そしてそれ故

に、イエス様は人間を兄弟と呼ばれるのであり、死すらも無力になのだと語っているのです。もちろん、ただただ氏が無

力になったと言っているのではなく、人間は、物ではなく死を恐れる存在である、死を怖いと考える存在である、だから

こそ、苦難を通して救いを完成したイエス様の働きは、人間にとって重要なのだと語っているのです。

ここに見られるヘブライ人への著者の主張は、天地創造の初めから、神の人間に対する愛が最初にあることを前提と

しています。ただし、その愛がどのように人間に示されているのか、また人間はどのようにその愛に応答するかという点

が、旧約の記述とは大きく異なります。

この部分の最後は、次のように記されています。「事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている

人たちを助けることがおできになるのです」(一八節)。この部分は、引用された詩編八編をも超える人間理解が描か

れています。

詩編に描かれているような、人間理解とは、自分は神ではなく人間であるという謙虚さを忘れずに、神が造られた世界

を治める務めを果たすことです。実は、そのような人間理解は、自然を真正面から先入観なしに受け止め、分析し解明

しようとする現代の科学のあり方と似たようなところがあります。そこでは人間が何を解明できるか、人間が何を造りだ

すことができるかが大きな課題となります。それは神に到達できないことは自明でありながらも、それを目指して努力す

るようなところがあります。そのような観点も重要です。しかし、ヘブライ人の手紙の著者が述べていることは、全く異な

っています。人間とは、苦難を恐れ、死を恐れる存在である。しかし、そのような人間と、御子であるイエス様は、同じ姿

になられた。それだけではなく、人間が最も恐れる苦難と死を経験され、そのことを通して救いの世界を示した。言うな

らば、人間が神に近づくのではなく、神の側からそこまで人間に近づいて下さったということです。その神の愛をどのよ

うに受け止め、それに応えるか。それが人間の本来の課題であるということです。

現代の私たちは、自然とのかかわりの中で、科学的に数多くの事柄を解明してきました。またその過大な探究心が謙

虚さを忘れた時、大きな過ちをも生み出してしまいました。他方で、様々な争いの根本には、死を究極的に恐れるとい

う部分もあると思います。神様がイエス様を通して求めておられることは、イエス様を通して神の愛に応えること、そこ

からすべての行動を考えることに他なりません。そしてそこにわたしたちの本当の慰めと平安があります。その信仰と

救いの創始者であるイエス様をこれからも信じていきたいと思います。

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