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★太田信三 司祭による主日の福音 ★主日の福音(2026年1月4日) (降誕後第2主日、A年)「この方が神を示された」(ヨハネによる福音書1:1-18) 私たちは神さまに似せて造られています。けれども、いくら似てはいても、私たちは神ではありませんから、正しい道を進んでいると思っていても、いつの間にか道からズレてしまいます。このズレが、わたしたち人間の「罪」と言われているものです。「罪」とは、ギリシャ語の原文ではハマルティアという単語です。たとえば弓矢の競技で的を外れた時、審判は「ハマルティア!」と叫んだと言われています。「的外れ」ということです。的を狙って矢を放っても、手元での数ミリのズレが的に到着する頃には大きなズレになります。それこそが、わたしたちの「罪」だというのです。神に向かっていると思っても、いつのまにか少しずれてしまう。そして、気がついてみたら大きく離れてしまうのです。 人間はそのような存在ですから、いよいよ神との距離が離れてしまい、もはや自分たちがどのように歩めばよいのか、どうすれば救われるのかわからなくなってしまいました。それが、イエス様がお生まれになった頃のイスラエルの人々の苦しみです。しかしこの苦しみは当時の人々のみならず、今を生きる私たちの辛さでもあります。どう生きれば、歩めば良いのか、私たちもさまよいます。完全に正しい道など分かりえないのです。しかし神は、さまよい、神から離れ、苦しむ人間の叫びを聴かれました。私たちのために御子を遣わし、真理への道を示してくださったのです。 「言は肉となって、私たちの間に宿った。」この世界を創造した神の言、神の意志であり、神そのものである言。神そのものが、わたしたちとおなじ「肉」となられた。なぜなら、それは今日の福音の最後にある通りです。 「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」神から離れてしまい、神のことが分からなくなってしまった私たちのために、完全なる神が完全なる人として「私たち」のところに来てくださったのです。主イエスが私たちと同じところに来てくださったから、友人との交わりで相手をよく知ることができるように、主イエスとの交わりを通して、私たちは神を知ることができるのです。だからこそ、主イエスは暗闇で輝く光なのです。 神が分からず、さまよってしまう人の間に、道であり、真理であり、命である方がお生まれになりました。「恵みと真理はイエス・キリストを通して現され」ます。 ★主日の福音(2026年1月11日) (顕現後第主日、A年)「我々にふさわしいこと」(マタイによる福音書3:13-17) イエスの受洗は、洗礼者ヨハネからイエスへ=預言者の時代から神の愛する子の時代への転換の出来事でした。イエスはヨハネが思いとどまらせようとしても、「今はそうさせてもらいたい。すべてを正しく行うのは、我々にふさわしいことです。」と言い、洗礼を望みました。「我々」とは、イエスとヨハネだけではなく、ヨハネのもとへ洗礼を受けるために押し寄せているおびただしい群衆をも含む言い方です。神の愛する子は、すべての命を「我々」と言って下さる方であることがここに示されています。そのイエスは、救いを求めてヨハネのもとに集う人々と共に歩むために、自らも洗礼を受けられました。そしてその人々が「今」すべき「正しいこと」を示しました。御子によるあたらしい時代を迎える「今」にあって、神が人に望む正しいこととは、ヨハネの呼びかけに応え、回心の洗礼を受けること。つまり、神から離れている心を、御子によって訪れる新しい時代に向けることです。イエスはご自分も洗礼を受けることで、皆と歩みを共にし、すべての人を来たるべき時代へと導こうとされたのです。 イエスは神と人とを再び結ぶために、洗礼によって神の霊と祝福を受け、歩み始めます。その歩みの行き着く先、イエスは天と地の間に立てられた十字架において、私たちと神をとりなしてくださいました。そして、イエスが十字架上で絶命したとき、神殿の幕が避け、神と人とを隔てるものは取り去られました。こうして十字架は、神と私たちを結ぶ架け橋となったのです。イエスが洗礼を通して「我々」と一緒になってくださったこと、そしてご自分の命もろとも神のもとまで導いて下さったからこそ、私たちにとって十字架は命の架け橋となったのです。 イエスが洗礼を通して、「我々」=私たちと一緒になってくださったからこそ、私たちはイエスを信じ、御後に従うことで神と生きる世界へと迎えられる道が開かれました。イエスは十字架によって「今」も、私たちと神を結ぶ道となってくださっています。ですから、今を生きる私たちも、2000年前ヨハネのもとに押し寄せた人々にイエスが示した御子による新しい世界へと心を向けるなら、私たちもイエスによってもたらされる新しい世界へと迎えられます。 私たちはヨハネの洗礼とは異なり、父と子と聖霊の御名による洗礼を授けられ、イエスによってもたらされた新しい命、神と神の霊とともにある命をいただきます。この命をいただいている者として、「今」あらためて心を神に向け、歩み始めましょう。 ★主日の福音(履歴) B年(2023~2024年) → 2023年12月3日 → 2023年12月10日 → 2023年12月17日 → 2023年12月24日 → 2023年12月31日 → 2024年1月7日 → 2024年1月14日 → 2024年1月21日 → 2024年1月28日 → 2024年2月4日 → 2024年2月11日 → 2024年2月18日 → 2024年2月25日 → 2024年3月3日 → 2024年3月10日 → 2024年3月17日 → 2024年3月24日 → 2024年3月31日 → 2024年4月7日 → 2024年4月14日 → 2024年4月21日 → 2024年4月28日 → 2024年5月5日 → 2024年5月12日 → 2024年5月19日 → 2024年5月26日 → 2024年6月2日 → 2024年6月9日 → 2024年6月16日 → 2024年6月23日 → 2024年6月30日 → 2024年7月7日 → 2024年7月14日 → 2024年7月21日 → 2024年7月28日 → 2024年8月4日 → 2024年8月11日 → 2024年8月18日 → 2024年8月25日 → 2024年9月1日 → 2024年9月8日 → 2024年9月15日 → 2024年9月22日 → 2024年9月29日 → 2024年10月6日 → 2024年10月13日 → 2024年10月20日 → 2024年10月27日 → 2024年11月3日 → 2024年11月10日 → 2024年11月17日 → 2024年11月24日 C年(2024~2025年) → 2024年12月1日 → 2024年12月8日 → 2024年12月15日 → 2024年12月22日 → 2024年12月25日 → 2024年12月29日 → 2025年1月5日 → 2025年1月12日 → 2025年1月19日 → 2025年1月26日 → 2025年2月2日 → 2025年2月9日 → 2025年2月16日 → 2025年2月23日 → 2025年3月2日 → 2025年3月9日 → 2025年3月16日 → 2025年3月23日 → 2025年3月30日 → 2025年4月6日 → 2025年4月13日 → 2025年4月20日 → 2025年4月27日 → 2025年5月4日 → 2025年5月11日 → 2025年5月18日 → 2025年5月25日 → 2025年6月1日 → 2025年6月8日 → 2025年6月15日 → 2025年6月22日 → 2025年6月29日 → 2025年7月6日 → 2025年7月13日 → 2025年7月20日 → 2025年7月27日 → 2025年8月3日 → 2025年8月10日 → 2025年8月17日 → 2025年8月24日 → 2025年8月31日 → 2025年9月7日 → 2025年9月14日 → 2025年9月21日 → 2025年9月28日 → 2025年10月5日 → 2025年10月12日 → 2025年10月19日 → 2025年10月26日 → 2025年11月2日 → 2025年11月9日 → 2025年11月16日 → 2025年11月23日 A年(2025~2026年) → 2025年11月30日 → 2025年12月7日 → 2025年12月14日 → 2025年12月21日 → 2025年12月28日 → 2026年1月4日 → 2026年1月11日
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