18:28 2018/10/15 東京聖テモテ教会 - 主日の福音

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★太田信三 司祭による主日の福音

★主日の福音(2025年10月12日)
(聖霊降臨後第18主日・特定23、C年)「わたしは神様に救われた!」(ルカによる福音書17: 11-19)
 主イエス一行が通りかかったとき、十人の規定の病(※)の人々が声を張り上げました。イエスは彼らの叫びに応え、「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」と言われました。彼らはすぐに従い、祭司のところへ向かうその途中で患部が「清くされた」ことを知りました。
 レビ記13章の規定によると、重い皮膚病にかかり、祭司から「あなたは汚れている」と言い渡された患者は、ユダヤ人の共同体から隔離され、町の外に一人で住まねばならず、歩くときも「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と叫ばなければなりませんでした。症状がおさまり、祭司に体を見せて「あなたは清い」と認められるまで、患者は共同体に復帰することが許されません。それゆえイエスは、十人の患者に「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」と指示したのです。おそらく、イエスのもとに戻らなかった9人は、喜びのなか、家族の元へ急ぎ帰ったのでしょう。では、戻ってきた一人には何が起こったのでしょうか。
 15節「自分が癒やされたのを知って」という箇所では、ルカによる福音書は意図的にそれまでの「清くされた」という表現を、「癒やされた」と言い換えています。ここで、「知って」とされているのは、「見る」という単語です。たしかに、他の九人もイエスの言葉にすぐに従いました。しかし、この一人だけが「清くされた」こと以上のことを「見た」のです。彼が「見た」ものとは、清くされた患部の向こう側に働く神の憐れみの御手です。「神がわたしを救われた!」ということを見た彼は、感謝せずにはおられず、イエスのもとに走り戻りました。いまや彼は、神がおられることをその目で知り、神と共にある命に迎え入れ られたのです。
 奇跡は救いの入り口でしかありません。その先にある主の御手による憐れみを見、神との交わりに迎えられるとき、救いは完成します。信仰とは、「その先」に働かれている神を見る目のことです。その目があれば、神の「わたしへの働きかけ」に気付くことができます。それゆえ主イエスは、「あなたの信仰があなたを救った。」と言われたのです。今日の福音で、救いから遠いとされていたサマリア人が救われたように、わたしたちも信仰という目をいただき、神の御手を見、神との交わりに迎えられ、賛美と感謝のうちに生かされたいと願います。
 ※かつて「らい病」「重い皮膚病」と訳されていたヘブライ語ツァラアトが、差別的語感を避けて「規定の病」と訳されるようになりました。これは訳語の選択だけでなく、私たちが語る「痛み」や「病い」に対する意識を新たに問うものでもあります。この変化の意味をそれぞれが考え、私たち自身が当たり前に持っている価値観を省みつつ、聖書の言葉をより深く受け止めていきましょう。

★主日の福音(2025年10月19日)
(聖霊降臨後第19主日・特定24、C年)「しつこく祈り続ける」(ルカによる福音書18:1-8)
 先週の福音では、信仰とは物事の先に働かれる神を見る目であることが示されました。その目をもって世界を見る信仰者は、この世界に実際に働かれている神を見、神と共に生きることになります。その目で世界を見るなら、たとえばそれまで単なる「偶然」としてきたものが、意味あるものへと変えられることがあります。そして、この世界に神の存在を確かに見つめ、神との交わりに生きるなら、そこにおられる神との会話である「祈り」が生まれます。なぜなら、神と同じ世界に生きるなら、神とのコミュニケーションである祈りが必然的になされるからです。それゆえ、信仰者の特徴とは「祈り」なのです。
 しかし、祈り続けることは難しいとつくづく感じます。日々の煩わしさのなかで、神を見失ってしまうことや、自分の祈りが聴かれていないのではないかと疑い、祈ることをやめ、神との交わりから離れてしまう。これが私たちの現実ではないでしょうか。しかし、そういう人間のことをイエスはよくご存知だからこそ、「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」ことを教えてくださいました。
 やもめは、自分を守るもの、保護してくれるものが何もない、極めて弱い立場を象徴する存在です。そんな彼女の唯一の武器は、「しつこさ」でした。彼女は「神を畏れず、人を人とも思わない裁判官」のところに通い続け、訴え続けます。結果、そんな裁判官でさえ、彼女のしつこさに押され、目を向けざるを得ないところまで追い込まれます。まして神は、しつこく祈る者から目を背けるはずがない。神は必ず祈りを聞き届けてくださるのだから、落胆せず祈り続けなさいと、イエスは励ましたのです。
今日の旧約聖書が強調することも「しつこさ」です。食い下がるヤコブを主は祝福し、イスラエルという新しい名、新たな命を与えました。もちろん信仰も、希望も、すべて私たちの行いによって獲得されるものではありません。私たちの目が開かれるのは、神が私たちと常に共におられるからこそです。神がいつも一緒にいてくださるからこそ、私たちの信仰の目が開かれるなら、いつでも神を見出し、祈ることができるのです。
 いつも私たちと共におられる神は、必ず私たちの祈りを聴いてくださいます。神がその祈りにどのように応えてくださるかは分かりません。しつこさだけが武器であったやもめのように、祈り続け、神との交わりに身を置き続けることでしか、それは分からないのです。しかし神は必ず、私たちの想像を遥かに超えて応えてくださいます。気を落とさず、しつこく祈り続けられますように。そして、神と共に生き続けることができますように。

★主日の福音(履歴)

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