前足も正座                 主教 ステパノ 高地 敬

 

 大阪教区と一緒の教役者修養会も三回目になり、今年も有意義な時を過ごすことができました。
今回は高野山の宿坊に泊まりましたので、朝6時にお勤めがあって、お坊さんのお話も聞けるということで本堂に行ってみました。
 既に十数名の人が座っていて、一番手前にいたジーンズの女性の右隣りに座りました。私は初めからあぐらだと腰が痛くなるので、とりあえず正座をしておりました。次に外国人の青年が3人ほど入ってきたので、左の方につめました。
 ジーンズの女性は正座で、右の青年はあぐらをかいています。足が痛くなっても、あぐらをかくスペースはぎりぎりあるなと思っていましたら、左の女性が足を崩しました。横目で見ると、横座りではなく、あぐらでした。この結果、私には今の正座のスペースだけということになりました。
 足はだんだん痛くなって、追い詰められた気持ちになっていきました。ゆったりしたお経がようやく終わり、お坊さんのお話にも、「早く終われ」としか思えませんでした。
 左の女性がわざと私の場所を奪ったわけではありませんし、左に詰めすぎた自分にも原因があります。ただ原因はともかく、「今の自分には心身共に安心できるスペースがない」と感じることはだれにもたくさんあるのかも知れません。そんな時に誰かが、「ここにあなたのスペースがあるよ」とそっと声をかけてくれたらどんなにうれしいでしょうか。だれもが遠巻きに見ている十字架のすぐそばにこそ、本当に安心できるスペースが私たちに残ってないでしょうか。
 右の青年は途中で三角すわりになりましたが、ぎりぎりのスペースの中で足を崩す余裕は私には残っていませんでした。


(教区主教)