たくさんは歩けない                 主教 ステパノ 高地 敬

 

 地下鉄の駅の改札まで来たら、電車がホームに入って来たようで、周りの二、三人の人が走り出しました。私は、「ここから走ってももう間に合わないし、それに荷物もあるし」と、ゆっくり改札を通って階段を下りていきましたが、まだ電車が停まっているみたいです。走ろうかと迷いましたが、今からでは絶対間に合わないと思ってホームが見えるところまでゆっくり来たら、まだ電車が停まっていて、あと10メートルのところでドアが閉まりました。初めから少し速めに歩いていれば十分間に合っておりました。
 私は何でもあきらめるのが早すぎるのだと思います。何とかすればまだ間に合うのに、すぐにもうだめだと思ってしまいます。もう少し頑張ればよかったと、後で気がつきます。
 それに、すぐに結果が出ないと気がすまないということもあって、もう少しのところを待てないことがよくあります。詰めが甘かったり、早とちりしたり、こんな性格はなかなか直らないのかも知れません。忍耐強い人を見ると、うらやましい気もしますが、まねできないなと思って、またすぐあきらめます。
 イエス様には、「あきらめ」ということがないようです。人がどれだけたくさんいても、一緒に食事をしようとされる。もう死んでいても生き返らせる。うぬぼれの強い人にもていねいに話される。ご自分のことを全く分かっていないお弟子さんたちに最後まで付き合われる。結果が全然でなく てもあきらめない。
 イエス様、私はあなたのことをとてもまねできませんから、私のことはどうかあきらめてください。でも、いつまでもだらだら歩いている私も、神様の電車に乗せてください。これだけはあきらめませんから。


(教区主教)