月の沙漠               主教 ステパノ 高地 敬

 

 七月に皆既日食があり、京都では部分日食だったのですが、誰かが話題にしていたので、「あれ、日食、今日だったんですか。」「みんな見てましたけどね。」「小学校1年のときに見たからいいです」と精一杯負け惜しみを言いました。ニュース番組でキャスターが、「このような天体ショーを見ていると、太陽と月が動いていると錯覚しますが、本当は地球と月が動いているんですね」と言っていました。
 地球は決して動かないで、太陽や月など他のものが動いている。自分が立っている基盤は確かで、他のものの方にこそ定まりがないのだ。これは天体だけでなく、私たちの日ごろの気持ちを示していることではないでしょうか。自分が中心で、自分こそが正しい。
 ガリレオ・ガリレイが地動説を主張した時も、古来の天動説を守ろうとする教会を説得することは難しかったようです。このときの宗教裁判は、いろんな思惑があってややこしいものだったようですが、天動説のように自分は決して動いていないとする考えは今も誰にもあって、それを突き崩すことはとても難しいということの、とてもいい例だと思います。
 ガリレオは、「聖書は我々にいかに天へ行くかを教える。いかに諸天体が動くかを教えるのではない」と言ったそうです。天動説は聖書から明らかだとは言えないが、地動説は科学から明らかだという考えを言っています。
  ただ、聖書も科学も、人間自身が確固たる者ではなくて、動き続ける定まりの無いものだということは共通して教えているのではないでしょうか。自分は動いてなんかいないぞとかたくなに考えていると、「ちょっとそこの人、光をさえぎって邪魔だからどいてください」と地球に言われそうです。

(教区主教)