らくだの喫煙コーナー           主教 ステパノ 高地 敬

 
 タバコをやめてから10年近くなります。それまで二十数年休まずに吸ったのに、苦しむこともなくすんなりと止められました。『禁煙セラピー』という本のお蔭です。ニコチンの代替物に頼らないとか、一本くらいいいだろうというのもダメとか、タバコをやめるためのアドバイスが並んでいました。このまま吸い続けると、あといくらのお金をタバコに使うかというのもショックでしたが、一番効いたのは次のようなアドバイスでした。「あなたは、タバコがなければ生きていけないと思っているでしょう。けれど、周りを見てみなさい。みんなタバコなしで生きています。」その通り。タバコがなければ生きている楽しみがなくなるから生きていけないと、知らない間に信じておりました。
 タバコのように、ないと生きられないと思い込んでいるものは案外多いのでしょう。お金、豊かな衣食住、地位や名誉、優越感。
 この逆に、なくても生きられると思ってしまっているものも多いようです。謙虚さ、信頼、愛、そして、イエス様。自分が生きるためにこれらのものを本当に必要と思っているかと問われると、「思っている」と断言できなくて困ってしまいます。なくても適当にやっていけるのではないか。
 ただ、イエス様の救いは、生きるために必要だと思っている人にだけ必要だというのではもちろんなく、必要と思っていない人にこそ必要だということでもなく、むしろ、必要だとか必要でないとか自信を持って言うことのできないどっちつかずの生ぬるさがある私たちだから必要なのだろうと思います。
  タバコを止めなくてはと思いつつ、ないと生きていてもうれしくないなと感じていたあの頃、ちょっと懐かしい気がします。  

(教区主教)