らくだ専用道          主教 ステパノ 高地 敬

 

 十数年前、毎週日曜は大津市内のアパートから京都市内の教会に車で通っておりました。ある日曜の朝、京都の白川通りまで来たら道を横切れなくなっていました。運悪く市民マラソンの日で、まだ誰も走っていないのに横切ってはいけないとのことでした。「そんなん知らんかった。急いでるから通して」と頼んでも、「ちゃんと事前に広報してる」との返事で、仕方ないので大きく迂回して、礼拝にようやく間に合いました。
 他の町でも同じだと思いますが、京都でも時々道路封鎖があります。高校駅伝、女子駅伝、車いすマラソン、葵祭、祇園祭、時代祭などなど。日頃そんなことには無関係に生活していますので、時々とんでもない事態になります。すぐそこなのに、道が渡れない。救急車は通すでしょうが、個人的な急用は認めてもらえません。走ることやお祭りが好きな人には申し訳ありませんが、やっぱり迷惑です。
 先日はある「尊い方」が京都に来ておられて、「どこそこで止められた」という話を何人かの人から聞きました。警備上の都合で事前の広報はありませんし、通行止めのリハーサルがあることもあります。
 そう言えばイエス様も道路封鎖をされました。ご自分の道を誰かが横切るのを防ぐために封鎖するのではなく、個人的な事情を一人一人丁寧に聞いて、ご自分の道の方をわざわざ封鎖して、横切りやすくしておられました。「私の道を横切るあなたのその道はそれでいいのか。あなたも私の道に従いなさい」とは言いながらも、一人一人の思いを尊重し優先させてくださる。これがイエス様の道路封鎖のやり方でした。そして、その道を何度も横切らせてもらい、いつの間にかイエス様の封鎖の多い道を歩くことになっているのが私たちでありました。

(教区主教)