きゃめる、あきらめる       主教 ステパノ 高地 敬

  

 教区内の英語礼拝は、奈良キリスト教会ではシュタール司祭が、京都聖マリア教会では藤原司祭が、聖アグネス教会ではマーレー司祭とパイ司祭が行っていますが、聖アグネス教会ではこのところ日増しににぎやかになり、先日は堅信式を行うとのことで呼んでいただきました。
 「えっ、英語で?」、「そー、日本語ペラペラの方なので日本語でもいいですけど」、「(ということは英語でということか)じゃあ英語で。練習するからコピーください。」英語ができる聖職は何人もいるのですが、堅信式だけは仕方ありません。結果的には風邪でしんどかったことも手伝って、前日まで練習しませんでした。
 当日の礼拝前にマーレー司祭は、「コミュニケーションの中で言葉が占めるのは1割だけですから」と慰めてくれました。慰めようとしているのがよく分かるので、かえって緊張が高まります。とてもたどたどしく堅信式が終了し、やれやれと思っていたら、最後の祝福のところ。「えーっと、どこやったっけ。」
 当日もまだ風邪でふらふらしていたせいもあってか、相方がいつになく同情的でした。「どうやった?大変やったな。そやから英会話、行きて言うてたのに聞かんから」
 日本の英語教育のまずさのせいにしてはなりません。たとえ1割だけの部分でも精一杯練習しないと、伝わるものも伝わりません。聖アグネス教会の英語会衆の方は9割の方で納得してくださって、とても寛大でありました。何事もうまく伝えられない私ですが、神様には99%まで汲み取っていただければと願っています。1%だったら何とか頑張れますから。
 今後も英語礼拝の堅信式がたくさんあるといいなと思います。ただ、一回に受ける人数が多い方がいいか、回数が多い方がいいか悩むところです。

(教区主教)