らくだの毛並み       主教 ステパノ 高地 敬

  

 うちには小さなビーチサンダルに柄が付いたゴキブリたたきがあります。この間それを使った直後に相方が来て、「ゴキブリ?」と聞くので、「そうや。一発」と自慢したら、「弱ってたんやなぁ」って。一発を自慢する方も問題ですが、一発は無理だと決めてかからなくてもいいと思います。お互いの信頼関係に課題があるということでしょうか。
 一発のことをうれしく報告するためには、自慢げにではなく少し控えめに、「信じひんかもしれんけど、一発やったんやわ」と言っていれば、「そーかぁ、すごいなぁ」ということになったでしょう。それでもまだ自慢したい気持ちがにじみ出ているようですが。
 自慢話をする、自分を偉く大きく見せようとする。すると「あー、偉い人なんだ」と思われることもあるかも知れませんが、逆に信用されなくなることの方が多いように思います。でも、それが分かっていてなかなかできず、どうしてもすぐに「一発」などと言ってしまいます。以前は「自慢話してきたらあかんで」と出がけに相方によく言われたものですが、この頃は言われなくなりました。言っても効果がないのであきらめたのでしょうか。
 イエス様にはもちろん自慢話はありませんでした。「わたしではなく、神様がしておられるのだ」と言われ、すごい自慢話で許しがたいと感じる人もいたでしょうが、十字架の上のお姿から考えると、これはとても謙虚な言葉でありました。
 偉そうに自慢するより、謙虚であること。これが人に信用される近道で一番説得力のある姿です。それを知りながら何かにつけて自慢してしまう時、そんな私たちにがっかりしながらも、さらに謙虚になられるイエス様のお姿が目に浮かびます。

(教区主教)