また歩きだす       主教 ステパノ 高地 敬

 

 うちの電気器具の一つの具合が悪くなって途中で止まるので、そのたびに電源コードを抜いては入れるということを相方が繰り返していて、「長いこと使こたし、新しいのん買おか」ということで新品を買ってきました。取替える前に最後のつもりで今までのを使ったら、とても調子よく動いたので、取り換えずに何か月か経ってしまいました。「捨てられるて分かって頑張ったんやろか」と聞こえないところで話しました。先日、別の家電の騒音が激しいので買い替えることにして、最後に何回か使いましたが、うるさいままでした。「初めから調子悪かったし」と話していたのが聞こえていたのでしょうか。やる気が出なかったようです。
 「長いこと、ご苦労様」と言うのと、「あんた初めからあかんかったなぁ」と言うのと、言われる側にとってはずいぶん違う気持ちになるのでしょう。また、同じ言葉でも声のかけ方によってやる気が出る時もあるし、がっくりして動けなくなることもあります。励ますつもりで言ったことが、かえってしんどい思いをさせてしまうことも、私たちは何度も経験することです。
 イエス様が「あらゆる病気や患いをいやされた」のは、人々の状況を何とかしたい、何とか改善したいということだったのですが、イエス様は病気の人に、「あなたの罪は赦された」とも言われました。病気のために人とうまく付き合うことができなかった。だからとても寂しかった。つらいことの多かったこれまでの人生をねぎらう言葉だと思います。「長いこと、しんどかったなぁ」とイエス様は声をかけてくださいます。
 私も、「あんた初めからあかんかったけど、よう頑張ってきたなぁ」と言っていれば、もう一つの家電も調子を取り戻していたでしょうか。

(教区主教)