2004年1月11日  顕現後第1主日・主イエス洗礼の日 (C年)


司祭 イザヤ 浦地洪一

あなたはわたしの愛する子

 大勢の人々がヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けていた。主イエスもヨハネから洗礼を受けた後祈っておられた。その時、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、
「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。」(ルカ3:22)
 この天からの声は、ルカ福音書によると、もう一度聞こえる。
 主イエスがご自身の死と復活を予告された後、ペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて山に登られた。そこで、イエスは顔の様子が変わり、服は真っ白に輝き、栄光に包まれながらモーセとエリヤと語っておられた。弟子たちはその光景を見た。すると、
 「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。(ルカ9:35)
 主イエスが、ヨルダン川から上がって祈っておられる時、また、山に登って祈っておられる時、「あなたはわたしの愛する子」、「これはわたしの子」と同じ言葉が天から響いてくるのが聞こえた。それは、神とその子イエスが交信しておられる瞬間であった。
 幼児が遊びに熱中している時、ふと気がついて、隣りの部屋のお母さんやお父さんを呼ぶ。そして、返事が返ってくると安心してまた遊びに夢中になる。お母さんやお父さんの方も、時々思い出したように隣りの部屋をのぞき、子どもの名前を呼ぶ。そして、返事が返ってくると安心して台所仕事をしたりテレビを見たりしている。親のもとにいることに絶対の信頼と安心をもっている子ども、そして、愛する子どもの安全を確認する親の姿、互いに呼び合うことによって、愛と信頼と安心を確認し合う。よく見かける親子の交信の姿である。
 神は、そのひとり子をわたしたちのこの世にお遣わしになった。そして、チラッ、チラッと、親子の愛と信頼を確認するかのように呼びかけ合っておられる。その最も愛するひとり子を、父である神が、わたしたちを愛する愛を示すために、わたしたちが神を受け入れるようになるために、わたしたちが「生きる」ようになるために、その命を与えてくださった。父と子が、愛と信頼を確認し合い、呼びかけ合っておられるその胸中を想うとき、ああ、わたしたちは、これにどのように応えたらいいのだろう。