2004年7月4日  聖霊降臨後第5主日 (C年)



司祭 ダビデ 佐保靖幸

福音の本丸・新しく創造される

 「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身にうけているのです。兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。」
 上に本日の使徒書日課の朗読箇所(ガラテヤの信徒への手紙6:14−18)を記しておきました。朗読を省略した箇所(6:1−10)には、「たゆまず善を行いましょう。」と、信仰者間での善行が強調・奨励されています。この部分は本日の特祷との関連で読むと、使徒書日課として指定されていることの意味がよりよく理解されると思います。
 聖書を神のみ言葉の城に例えて考えると、新約聖書は要するに《イエス・キリストの福音》の館と見る事ができるでしょう。その《福音の館》の中でも、〔ガラテヤの信徒への手紙〕は〔ローマの信徒への手紙〕とともに、本丸に当たる部分と見る事が出来るといっても過言ではないと思います。それは、〔ガラテヤの信徒への手紙〕には《福音》に要点が集中的に記されているからです。その意味で、要するにキリスト教徒にとって、また全人類にとって聖書の中心とは、福音の要点とは何かを知るために、参考書・註解書を片手にこのガラテヤ書全6章を通して読むことには大きな恵みが伴うでしょう。本日の朗読箇所はこの書の最後の部分です。
 《福音》つまり《人間が救われること》とは、《天地万物の創造者である全能の神の存在と愛に結びいれられ、永遠の命の約束とその保証を受けること》です。そのための唯一・完全な要件は《イエス・キリストの十字架による神の恵み=罪の赦し(贖罪)とその死からの復活・昇天・再臨を信じ、その愛と恵みを受け入れること》であり、それのみであるということです。このことの他に何の宗教儀式、ここでは割礼(体の一部分に傷を付けて救いの印とする)も、宗教的修行も不要であり、無意味であるということです。割礼の有無の問題に関しては、聖パウロはこのガラテヤ書の5章6節で「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそが大切です。」と言っています。「キリスト・イエスに結ばれて」いること、これこそが、愛の神が全ての人類に約束された「新しく、創造されること」の中身なのです。「キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、霊は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、・・・あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。」(ローマ8:10−11)
 「キリスト・イエスに結ばれ」て「新しく創造され」た《神のイスラエル》の上に平和と憐れみがあるようにと祈って、聖パウロはガラテヤ書・福音本丸の扉を閉じます。主の平和。アーメン